「世界を変える」ビジネスを生み出してきたのは、若い世代だ
「ペイパル・マフィア」は、歴史背景やスピード感は全く異なりますが、日本で例えるなら、かつての明治、大正、昭和時代といった日本の経済成長期における三井、三菱、住友などの財閥を作った若者たち、といったイメージでしょうか。三菱の岩崎弥太郎(1835年生まれ)や、東京証券取引所を始めた渋沢栄一(1840年生まれ)、もう少し後の世代になれば、日立・日産の鮎川義介(1880年生まれ)、トヨタの豊田喜一郎(1894年生まれ)、パナソニックの松下幸之助(1894年生まれ)、ホンダの本田宗一郎(1906年生まれ)、ソニーの盛田昭夫(1921年生まれ)、といった感じといえば、イメージしやすいかもしれません。もちろん、起業家や投資家といったあり方や考え方、やり方が、時代の変遷と共に大きく変わってきていますから、単純な比較はできないのですし、すべきでもないのですが、彼らも20~30才代と言った若い頃から、社会に影響を与える商品やサービスを生み出したことで、大きな富を生み出しました。明治維新の前後に活躍した「幕末の志士」たちも、30歳前後の若者たちでした。彼らは、「日本(ひのもと)のために!」と命をかけて生き切ったのです。
今回の取材において、私が思い起こすのは、世界を変えるような事業を生み出した人物は、「若い」という点と「世界を変える」という意識をもっていた点です。何か大きなもののために、自分の命を懸けて取り組む姿勢や志(こころざし)といったものが、何かを動かすのかもしれません。いまの日本の若い起業家で、日本をよくしたい!世界から貧困をなくしたい!といった想いを聞くことが多くなったと思いますし、そういった想いを聞くたびに嬉しくなりますが、まだまだ少数派ですし、実際にそれが実現できそうな事業かというと、もう少し幅の広い視点や取り組み方が必要な気もします。もっと無茶をしてもよいと思いますし、もっと大きなチャレンジに取り組んでもよいと思います!
実際に私が、チャドと話していた時に、彼がいつも口にしていたのが「世界を変える!」という言葉。「リッチになりたい」とか「成功をおさめたい」では、決してありませんでした。チャドがYouTubeを始めた初期の頃、再生数が上がりすぎてサーバー・コストが莫大にかかってしまい、寝ないで仕事をし続けても、次々と難題が降りかかってきて、「このままでは現金がショートして会社が潰れてしまうし、事業を続けられない」と危機感を持つようなことが何度もあった言います。最終的には、Googleへ売却する決断にいたるのですが、彼の脳裏を大きく占めていたのが、夢を持ったメンバーたちと楽しく仕事をする強い想いだったといいます。その心は「世界を変える!」、「世界に影響を与えたい!」という信念でもありました。そして、Googleに売却を決めたのも、他社と違って、Googleはチャドたちの経営方針に「自由」を認めてくれたから、とも言っていました。彼らには、単なる「お金」以上に大切にしたいものがあったのです。
余談ですが、世界中からひっきりなしに投資話を持ちかけられるチャドですが、私が「どんな人なら、投資したいと心が動くの?」と聞いた時、「ビールを楽しく飲める相手だよ」と答えた言葉は、いまでも忘れません。