3度のシリーズチャンピオンに19回の優勝(歴代2位)、歴代最多の24回のポールポジション獲得という輝かしい記録から、「最速男」という愛称で人気実力ともに長くトップの座に君臨し続けてきた。
それにしても彼の走りは、なぜこんなにも多くのファンや共に激しいバトルを繰り広げてきたライバルたちをも惹きつけてきたのだろうか──。
1台のレーシングカーを走らせるのに多様な職種の大勢のスタッフ・関係者との連携が不可欠とされるモータースポーツにおいて、彼が人生をかけてきたレースマネジメントとその真摯な姿勢は、ビジネスのヒントにもなり得るものだ。
>> 前編:天才レーサー・立川祐路「引退」 25年目の決断を語る
──スーパーGTに1999年にレギュラー参戦されてから、ずっと第一線で活躍して来られました。長く結果を残してこられた理由、ご自身の強みについて、どのようにお考えですか?
自分のことをそういうふうに見たことがないのでよくわからないですが、自分の道を貫く、といったところでしょうか。周りに影響されずに、ただただ「誰よりも速く走る、トップを獲る」ということを追求してきました。
あとはとにかく負けず嫌い。どちらも強みと言っていいのかどうかは別として。
──25年間移籍せず、1つのチームに所属し続けました。レーシングドライバーとしてめずらしいことですよね?
はい、シンプルに移籍する理由がなかっただけなんですけどね。本気で考えたことは一度もありませんでした。
移籍する主な理由は、勝てる環境かどうかとお金の問題の2つだと思いますが、環境は仲間たちが頑張って作ってくれていましたし、収入に関しても、それがちょっと増えるからといって、そうした環境を変えるという考えは自分にはあまりなかったです。
──レーシングドライバーの中には、タレント活動や商品やお店のプロデュースといったビジネスに携わる方もいらっしゃいますが、立川さんはレース一筋でした。
不器用なんですよね。同時にいろんな事を考えるのがあまり得意じゃないというか、一つのことでけっこう頭がいっぱいになっちゃうんです。できるだけ暇がいい。
レースウィークなんかも他の仕事を入れないようにしていました。その流れでレースにも行っちゃって、集中力が落ちるのでは?という感覚が自分の中にはありました。