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2023.10.21 17:00

「神輿は誰が担ぐ」地元の思いは在住外国人に伝わるか?

2023年の「国際交流みこし」の担ぎ手たち。毎回参加する都内在住の外国人もいる

2023年の「国際交流みこし」の担ぎ手たち。毎回参加する都内在住の外国人もいる

秋分の日の翌日にあたる9月24日(日)、東京・豊島区池袋で4年ぶりに「ふくろ祭り」が開催された。そのメインイベントの1つが、地元の町会の神輿10数基が練り歩く「宵神輿大パレード」だ。多くの担ぎ手たちで埋め尽くされた池袋駅西口前のビルの谷間の通りは、尋常ではない熱気に包まれた。
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池袋西口前の通りを埋め尽くす神輿と外国人の担ぎ手たち

池袋西口前の通りを埋め尽くす神輿と外国人の担ぎ手たち

なかでも観客の目に留まったのは、「国際交流のおみこしを担ぐ会」の神輿だった。外国人の若者たちと日本の人たちが一緒に神輿を担ぐという微笑ましい姿が見られたからだ。

1994年から続く「国際交流みこし」

今回参加した外国人は、都内在住者や豊島区内の日本語学校生、訪日旅行中の観光客など約60名だった。国籍も多様で、アメリカやドイツ、フィンランド、中国、シンガポール、フィリピンなど、13カ国の人たちが集まった。

池袋の「ふくろ祭り」で恒例となっている「国際交流みこし」は事前に参加者を募集している

池袋の「ふくろ祭り」で恒例となっている「国際交流みこし」は事前に参加者を募集している

町会の神輿に外国人が飛び入りで参加するという光景は、最近では、全国各地でよく見られるかもしれない。だが、この「担ぐ会」のように、事前に参加希望者を募り、外国人に半天と帯、手ぬぐいを貸し出し、着付けを教え、神輿の担ぎ方の練習を行ったうえで、揃って現場に赴くというような念入りな活動は、都内はもちろん、全国でも類例がないものだという。

しかも、この「国際交流みこし」は、行政主導ではなく、また氏子町会や商店街といった既存の地域単位でもなく、地元有志の任意団体が主体となって1994年から続いている。
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「国際交流のおみこしを担ぐ会」の会長の富澤弘治さんによれば、活動が始まったのは1990年代初頭だという。「その頃、西池袋の平和通り周辺に外国人の立ちんぼが現れたことから、地域の環境悪化をなんとかしなきゃと、地元で国際交流事業を立ち上げようという話になった」そうだ。

壇上から「国際交流みこし」をアピールする会長の富澤弘治さん

壇上から「国際交流みこし」をアピールする会長の富澤弘治さん

当時は外国人の不法就労が問題になっていた時代であり、新宿区の新大保界隈でも同様の光景が見られた。

「われわれは彼らのことをまったく知らない。お互いを理解することから始めなければ」と考えた富澤さんは、青年会議所の事業として、まず1992年に在住外国人に日本文化を伝えるイベントを実施した。翌1993年には池袋のアジア系外国人の調査を進めていた研究者を呼び、講演を聞くとともに、パネルディスカッションを開催した。

とはいえ、こうした活動だけでは、関心のある少数の人たちしか集まらないので、もっと広くアピールできる場はないかと考え、1968(昭和43)年に始まり、池袋で50年以上の歴史がある「ふくろ祭り」で神輿を通じた国際交流を企画した。

池袋西口駅前を練り歩く「国際交流みこし」。街の景観が一変する

池袋西口駅前を練り歩く「国際交流みこし」。街の景観が一変する

問題は、どうやって地元を説得するかだったが、当時の西池袋一丁目町会の会長に「外国人を集めて一緒に神輿を担いでいいですか」と話すと、思いがけず「いいよ」という答えを得たという。

そこで、翌1994年、豊島区在住の外国人に声をかけて、町会の子供神輿を借りて、彼らと一緒に担ぐことになった。

開始の2時間半前に集合し、半天の着方や帯の締め方を教えることから始まる

開始の2時間半前に集合し、半天の着方や帯の締め方を教えることから始まる

「初年は10人くらいしか集まらなかったが、驚いたことにイスラム系の男女なども来た。当たり前かもしれないが、彼らは足袋の履き方さえ知らなかった。それを教えることから相互理解が始まった。

その後、1996年には国際交流専用の神輿をつくった。そのとき、生まれたのが、いまの『担ぐ会』。ホップ・ステップ・ジャンプでここまできたので、毎年やろうということになった。地元の町会が受け入れてくれたことがミソだった」
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文・写真=中村正人

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