経営・戦略

2023.10.29 10:30

「サヴァ缶」プロデューサーが語る、応援で終わらせない商品づくり

鈴木 奈央
中道:それでマッキンゼーで勤めながらNPOなどに参加されるわけですね。

高橋:マッキンゼーに入って3年ぐらいで、スキルに自信がついたので海外で勝負するための事業計画書を作りました。しかし、ちょうどそのタイミングで東日本大震災が起きて。そこで完全にプライオリティが変わってしまいました。日本の地方への課題意識はもちろんありましたが、それよりも何よりも目の前で原子力発電所が爆発するのを見た瞬間に、これ以上の危機は自分の人生でないとはっきりわかったんです。単純ですけど、その瞬間にこれをやるしかない、と。

福島第一原子力発電所(Photo by Yuichi Yamazaki/Getty Images)福島第一原子力発電所(Photo by Yuichi Yamazaki/Getty Images)

中道:だんだんフォーカスされていった。

高橋:マクロからミクロという感じで「地方」から「東北」に。今は浪江町のより原発に近いところへと、どんどんフォーカスしています。一方で日本の素晴らしい「食」を海外に伝えることをやろうとしていたので、東北で食の再生をやりながら日本の食全体も海外に出そうと。そのための仕組みを作って両方同時に100%・100%でやろうと。

中道:オイシックスの執行役員・海外事業責任者に就任されたわけですね。

高橋:そうです。オイシックスの海外事業と東の食の会を同時に始めました。オイシックスではオンラインショップを通じて注文がきた香港のお客さんに日本の食材を飛行機で運んで宅配するBtoC事業を、その後中国でも野菜の宅配事業を立ち上げました。

中道:そこからさらに、2020年に立ち上げたNoMAラボにフォーカスしていくわけですね。

高橋:震災から10年が経つタイミングで、自分はこれからどう生きるかを考えました。それまで東京ベースで東北に通いながら食の活動をしてきて、産業づくりにそれなりのインパクトを出すことができました。東北の生産者や食をマーケット繋ぐ役割をするために意図的に東京をベースにしていたところもありました。しかしその一方で、自分はコミュニティ再生については一切やってきませんでした。

人が住めなくなった広大なエリアがあって、そこの規制が徐々に解除されてきて、ゼロから町をつくるという難しい課題があることは知っていたのに、何もやってこなかった。心の中にそういう呵責がずっとあって。このままやらなかったら絶対に後悔すると思って、10年の節目に浪江町に住民票を提出してコミュニティの一員に加えていただきました。

中道:あの有名な「サヴァ缶」をプロデュースされたのは東京ベースの時ですよね。

高橋:そうです。ヒーローとなる生産者とヒット商品を作り、販路を開拓してファンをつくる活動をしていた時に、ヒット商品のモデルとして最初に作ったのが「サヴァ缶」でした。

中道:あれは僕も大好きです。もともとサバ缶はすごくおいしいのに安く扱われていたそうですね。
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文=久野照美 編集=鈴木奈央

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