それがたとえ非道徳的な手段であっても、国家の利益になるのであれば許される──こんな考えのもとに書かれた『君主論』は、非難され、禁書とされた時代もあったといいます。それでもなお、500年超という長きにわたって読み継がれてきたのはなぜでしょうか。
本書が書かれた当時のイタリアは、経済が発展する一方で、都市間の対立が続き、かつ隣国からも狙われるという「乱世」の時代でした。小国フィレンツェ共和国の外交官として活躍していた著者のマキアヴェリは、共和制の崩壊とともに失脚。その後、まとめたのが、先行きが不透明であり、将来の予測が困難な時代において、国を統治する君主はどうあるべきかを記したこの『君主論』だとされています。
したがって、本書はいわゆる政治学の古典ではありますが、「国」を「企業」に置き換えてみると、そのまま現代のビジネスリーダーが直面しているテーマと重なります。
そしてこれらは、現代のビジネス書や自己啓発書の類いには書かれていない、理想論や感情論、道徳論といったたてまえを一切抜きにした超現実主義のものばかりとなっています。当時の価値観や時代背景に基づいて書かれていることから、現代社会に当てはめるのはむずかしい部分もありますが、先行きが不透明な時代というのは現代も同様であり、また、ビジネスがグローバル化している現代のほうがよりマキアヴェリ的な思考が多くのケースで当てはまるのではないかと感じています。
特に、印象に残っているのは、「決断」について論じられている部分が多くあることです。
例えば、「決断力のない君主は、当面の危機を回避しようとするあまり、多くの場合で中立の道を選ぶ。そして、おおかたその君主が滅んでいく」や、「決断力に欠ける人々がいかにまじめに協議しようとも、そこから出てくる結論は常に曖昧で、それ故、常に役立たないものである。また、優柔不断さに劣らず、長時間の討議の末の遅すぎる結論も同じく有害であることに変わりない」がその代表例ですが、ともすれば、非情な判断を迫っているようにも感じるこれらの記述は、結局、それを選択することで、結果として被害が最小限にとどまる合理的判断となっているのです。
日本では今、人口減少や高齢化などの社会課題を抱え、ますます強いリーダーが求められるようになりました。ただその一方で、権限と責任があっても、決断できないリーダーも多く存在します。理想論では語れない時代だからこそ、『君主論』は、最も学ぶべき実践的な考え方なのではないでしょうか。
title/君主論
author/マキアヴェリ(著)池田 廉(訳)
data/中央公論新社 880円/272ページ
profile/1469〜1527年。ルネサンス期のイタリアの政治思想家、官僚政治家。政変とともに追放処分となり、本書はその失意の日々のなかで執筆されたとされる。人間を冷静に観察し科学的に示した。「目的のためには手段を選ばない」というマキアヴェリズムは有名。
たけうち・あり◎1971年生まれ。94年米国ブラッドフォード大学マネジメント学部卒業後、ニフティ入社。三菱UFJリサーチ&コンサルティングを経て、日本オラクルのマーケティング本部長に就任。2023年6月より現職。子会社の経営にも従事。