映画

2023.10.21 10:30

父親に見えなかった娘の本当の姿とは│映画「空白」

充よりも厄介な暴力を行使する者

このドラマでは、さまざまな暴力が描かれている。


一番わかりやすいのは、充だ。「自分の親だったらキツい」と弟子の龍馬に言われるほど、常に自分を押し通そうとし、それが叶わないと誰彼構わず暴言を吐く彼は、なるべく近づきたくないタイプの人間として描かれている。

元妻・翔子が花音に与えた携帯を見つけて、窓の外に放り投げるDVぶりに始まり、押しかけてきた報道陣の胸ぐらを掴んだところを撮られて暴力親父として報道される。さらにはSNSでそのキャラの立ち具合が揶揄される。校長らに「娘について生徒のアンケートを取れ」と迫るのはモンスターペアレンツそのものだし、憎悪のあまり直人にストーカーのようにつきまとうに至っては、完全に常軌を逸している。

もともと沸点が低く気性の荒い充のこうしたわかりやすい暴力性に対し、一見わかりにくいがはるかに厄介な暴力を行使し続ける者が、スーパーの店員、草加部麻子(寺島しのぶ)だ。

やや遠慮のない感じはあるが元気で面倒見のいい中年女性として登場する彼女は、事件後窮地に追いやられていく店長・直人に過剰な思いやりを見せ、彼を励ましたいあまりに「あなたの方が正しいんだから」と出しゃばり、しなくていいことをあれこれ始めて逆に直人を疲弊させていく。

気の弱い直人がやっとのことでそれを拒否しても、「正しい」で凝り固まっている麻子にはその意味がわからない。最後には、麻子がそうした活動に無理やり動員する女性スタッフの一人が派手にやらかすミスが描かれ、善意を押し付けることの暴力がどんな結末をもたらすかが示されている。

麻子のこうした展開は、真面目だが不器用なために状況に流されつつ最後の最後で救われる直人とは、好対照である。充vs直人+麻子という見かけの対立構図は、最終的には充と直人との和解、麻子の孤立という別の構図にずらされているのだ。

以上は個人に現れた暴力性だが、それらよりもっと大きな規模と影響力で描かれるのはメディアの暴力だ。

小さな港町で起きた万引きがきっかけのあまりに不幸な事故を「餌」にして、被害者家族と加害者に執拗に群がるマスコミ。視聴者の「懲らしめたい」という欲を煽り立てるような、恣意的な切り取り報道をするワイドショー。SNSで拡散される個人情報と誹謗・中傷。それらを経由して、当事者、特に直人の日常に不意打ちのように放たれるさまざまな暴力。
次ページ > 憎悪のなかったところに憎悪を作り出すメディア

文=大野左紀子

ForbesBrandVoice

人気記事