私が尊敬するのは......
大和ハウス工業創業者 石橋信夫さんです。
彼のなかに流れるのは不屈の精神。戦後、シベリア抑留で壮絶な日々を生き永らえたのちに帰国し、戦争や災害で荒れ果てた国土を目の当たりにしたことをきっかけに事業を起こしました。自らの厳しい境遇を経てなお、国の発展や人々の生活の真の豊かさを願い突き進む強さに、心を打たれました。仮に環境や境遇、機会がまったく同じだったとしても、私は絶対にこの人にはなれないし、近づけない、畏怖と憧れを抱く存在です。守本正宏◎FRONTEO 代表取締役社長 1966年、大阪府生まれ。1989年防衛大学校卒業、海上自衛隊の護衛艦で勤務。退官後、半導体製造装置メーカーを経て、2003年に UBIC(現FRONTEO)を設立。グローバル企業の国際訴訟対策をビッ グデータ解析技術で支援し、また、自然言語処理と人工知能の研究成 果を応用したAIエンジン「KIBIT」の開発・実用化を推進。2007年に 東証マザーズ(現:東証グロース)上場。
終戦とともに旧満州など大陸から引き揚げてきた“引揚者”たち。戦後の日本復興は、彼らの手でなされた側面が大きい。そのなかには、過酷な強制労働などを強いられたシベリアなどの抑留者なども含まれていた。「カネがないから商売ができる」「積極精神は最良の資本」
こんな言葉を残した大和ハウス工業創業者、石橋信夫もシベリア抑留者のひとりだった。石橋は1921年に1000メートル級の山々に囲まれた奈良県吉野郡川上村に生まれる。日本有数の良質な木材として知られる吉野杉の主産地で、当然のように石橋の家も、親族も木材の商売を営んでいた。
石橋は県立吉野林業学校を卒業し、満州で営林庁敦化営林署に勤務したのち、1942年に前橋陸軍予備士官学校を卒業。満州に赴任した石橋は、下半身不随と言われるほどの大けがを負う。しかし、献身的な看護師の「あきらめてはダメだ」「あなたなら大丈夫」という言葉に励まされ、奇跡的に原隊へ復帰した。石橋にとっては、「一度死んだも同然の命」。怖いものはなくなっていた。