一人の女性の人生を変えた 謎多きルワンダの「牛糞アート」とは

新コンセプトの白一色のイミゴンゴを手にする加藤さん 

ジェノサイドがもたらした伝統への影響

ギサカ王国のカキラ王子居城跡から望む景色
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加藤さんのカウンターパートとしてイミゴンゴ制作を行っているベネランダさんによると、イミゴンゴの発祥地であるニャルブイェ村では、かつて嫁入り修行の一環としてイミゴンゴ制作が行われていた。彼女も母や叔母からつくり方を習い、大人になってからは組合を組織して10人の仲間とイミゴンゴを制作するようになった。

しかし1994年、ルワンダで惨劇が起きる。『ホテルルワンダ』や『ルワンダの涙』など、映画化もされたジェノサイドだ。民族の違いを理由に始まったこの殺戮は、瞬く間にルワンダ全土を血に染め、国民700万人(当時)のうち80~100万人が殺害された。

旧ギサカ王国の地の住民も例外ではなく、ニャルブイェ村も含めた近隣地域で約5万人の命が奪われた。ベネランダさんの組合仲間たちも、彼女を含めてわずか3人しか生き延びられなかったそうだ。

イミゴンゴの仕上げの作業を行うベネランダさん
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文字文化が同地に伝わったのは1854年のギサカ王国滅亡以降であり、イミゴンゴは母や叔母など女性親族から娘に口伝で引き継がれていた。そのため、文字で記された詳細な情報は非常に少なく、多くの命がジェノサイドに奪われたことで、いくつもの謎が残った。なぜギサカ王国の王子が材料に牛糞を選んだのか? なぜ幾何学模様のデザインなのか? それぞれの柄の名前と意味の由来は?など。その根幹となる部分も未解明なのだ。

加藤さんはその謎を解明するため、首都キガリから140キロメートル離れたニャルブイェ村に足繁く通い、イミゴンゴ制作に関わる人々や代々の住人を訪問しヒアリングを行った。また、始祖カキラ王子やギサカ王国関係者、同地の文化や言語に関することなどについても調査し続けている。

しかし、ベネランダさんやニャルブイェ村の人たちと接するうちに、心に変化が起きてきたという。

「調査を始めた頃は、それぞれの柄が持つ正しい名前や意味を見つけ出そうとしていました。でも近頃は、分からないものは分からないまま、曖昧さを残しておいても良いのかなとも思うようになってきました。たった一つの確固たる正解を探究していくことも素敵ですが、謎を謎のまま愛で続けるのもいいなと。今はつくり手さんたちと日々時間と空間をともにし、できる限り同じ眼差しでイミゴンゴを見つめてみることを楽しんでいます」
イミゴンゴ工房「イミゴンゴの家」のつくり手たちと加藤さん

新たな視線でイミゴンゴと向き合うようになった加藤さんは、最近、影にフォーカスした白一色の作品を開発した。発案当初はベネランダさん始めつくり手たちから「制作途中だと思われるのでは?」と心配する声もあった。しかし遠い日本からポジティブな反応があったことに全員が驚き、彼女たちの工房で制作してくれることになった。

「以前は、工房に直接来てくれた人にしか手に取ってもらえなかったけど、雅子のおかけで私たちのイミゴンゴは、世界中に広く知られるようになったの。彼女は神様から私たちへの贈り物なのよ」

そう語るベネランダさんは、工房を後にする加藤さんを何度も何度も抱擁しながら感謝の言葉を伝えていた。

あらゆることに正解を求め、白か黒かを判断しがちな今の時代、多くの謎を残すイミゴンゴと出会うことで加藤さんがたどり着いた、「分からないものは分からないまま、曖昧さを残しておく」という考え方は、人生を楽しく生きるヒントの一つになるのではないだろうか。

「来週また来ると伝えても、毎回別れ際はこんな感じなんです」

別れの抱擁を繰り返すベネランダさんと加藤さんからは、幸福感が満ちあふれていた。

文=下村靖樹

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