働き方

2023.10.10 11:15

クロスオーバーの力

1997年のこと、筆者は、米国ニューメキシコ州にあるサンタフェ研究所を訪問した。この研究所は、三人のノーベル賞受賞者、経済学賞のケネス・アロー、物理学賞のマレー・ゲルマン、同賞のフィリップ・アンダーソンが設立した組織であり、当時の最先端領域「複雑系の科学」(Complexity Science)を学際的に探究している著名な研究所であった。

この研究所には、物理学、化学、生物学、医学、脳科学、心理学、社会心理学、人類学、文化人類学、社会学、経済学、政治学、歴史学、情報科学など、ほとんど全ての専門分野から、「将来のノーベル賞候補」と呼ばれるような優秀な若手研究者が、世界中から集まっていた。

この研究所で、元所長のジョージ・コーワン博士に会い、色々な話を聴いたが、その中でも強く印象に残っているのは、次の質問への答えであった。「様々な分野の優れた研究者が集まっている、この研究所ですが、今後、どのような分野の専門家(スペシャリスト)を必要としていますか?」

この質問に対して、博士は、明確に、こう答えた。「ここには、専門家は、もう十分にいる。我々が本当に必要としているのは、それら様々な分野の研究を統合する『スーパージェネラリスト』だ」

これは、著書『複雑系の経営』や『知性を磨く』でも紹介した印象的なエピソードであるが、このコーワン博士の話を聴いて心に浮かんだのは、「クロスオーバーの力」という言葉であった。

すなわち、これからの時代には、それぞれの専門分野の「スペシャリストの力」や「エキスパートの力」だけでなく、それらの力を、分野の垣根を超えて結び合わせ、組み合わせ、クロスオーバーしていく力が極めて重要になることを、予感した。

もとより、実社会では、いかなる仕事も、異なった専門家の意志疎通を図り、円滑な協働を実現して進め、成果を出すことが基本であるが、近年、より高度で複雑な商品やサービスが求められる時代になり、この「クロスオーバーの力」も、さらに高度な次元で求められるようになっている。

そうした時代認識から、筆者が学長を務める学園では、毎週金曜日、1万人の学生が、それぞれの専門分野を超え、他の専門分野の技能を自由に学べる「クロスオーバー・フライデー」という制度を発足させた。この制度によって育つのは、自身の専門分野でのエキスパートであるだけでなく、他の専門分野についても、それなりの知識や技能や経験を持つ人材であり、この人材を、我々は「クロスオーバー・エキスパート」と呼んでいる。
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN 2023年11月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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