小山薫堂(以下、小山):僕、一度だけワイン造りをしたことがあるんです。1997年、メルシャンがHPを立ち上げる際にコラムの執筆依頼があり、連載企画をふたつ出したところ、無理だろうなと思っていた「ワイン醸造」が通っちゃって(笑)。
池野美映(以下、池野):すごいですね。ご自分で栽培や収穫などをされて、その体験について書かれたということですか。
小山:そうです。月に1回、城の平試験農場に通って、剪定もしたし、「シャトークンドウ」という名前をつけて、ラベルのデザインからボトルの手詰めまでやりました。
池野:何本、完成したんですか?
小山:約250本で、そのうちの50本をいただきました。それはカベルネだったんです。日本では美味しいピノ・ノワールはできないと思っていたから。でも、池野さんのピノを飲んだら、すごく美味しくて、衝撃で。この25年で何が変わったのですか。
池野:理由はひとつではないと思いますが、日本の若い世代が海外で修業して持ち帰った醸造技術や栽培のノウハウは大きいかもしれません。私自身はフランス国立モンペリエ大学薬学部で資格を取得後、ブルゴーニュのワイナリーで働いたので、ピノとシャルドネは憧れの品種で絶対にやりたいと思っていたんですね。でも、醸造仲間には「ピノは日本では無理だよ」と言われていました。
小山:それでも始めた?
池野:ええ。私のワイナリーは八ヶ岳の裾野にあるのですが、標高が750mあって、統計を追ってみるとブルゴーニュに近い気象条件かなと思って。
小山:メルローもやっていますね。
池野:ワイナリーを持続させるために必要でしたし、塩尻でメルローが造れていましたので条件的には大丈夫かなと。それでメルロー半分、ピノ半分で始めたんです。
小山:つまりピノをやるのは賭けだった?
池野:賭けといえば賭けですが、栽培学的には十分な可能性を感じていました。ブルゴーニュで味わったような、夢のように美しく優雅で崇高なピノを造りたい、という強い思いも後押ししていたと思います。
3つの興味の交点にあったもの
小山:出身地の小諸ではなく、八ヶ岳でワイナリーを始めたのはなぜですか?池野:小諸のある長野県東部地域からそれこそ山梨県・勝沼までリサーチしたのですが、1枚の畑を借りられて、気象条件に見合ったのが現在の場所だったんです。3.6haというマイクロワイナリーが身の丈に合っているのと、八ヶ岳や南アルプスに囲まれた美しいロケーションに惹かれました。