10月3日、大阪市北区のキヤノンギャラリー大阪で写真展がはじまった(14日まで)。「その夜の踊り子」と題したこの写真展で松田さんが写したかったのは、「ステージ周辺の人間模様」だという。
素肌をさらけ出して舞う踊り子にレンズを向けながら、彼女は何を見つめて来たのだろうか。
劇場を記録し、文化として残すために
写真展会場に入ると、中央にストリップ劇場のステージに見立てたローテーブルが配置され、それをぐるりと囲むように34枚の写真が壁にかけられていた。これらの写真は、2021年に閉館した中国地方最後のストリップ劇場「広島第一劇場」で撮ったものだ。「ステージの写真はもちろん美しい。でも、私が惹かれているのは劇場に集まる人たちなんです。その人間模様を伝えられたらと思いました」。設営を終えた松田さんが、一枚一枚を眺めながら言う。
松田さんが初めてストリップ劇場を訪ねたのは、2020年の初夏だった。映画づくりを学んでいた大学時代、同級生が制作した踊り子のドキュメンタリー映画を観て、その世界に興味を持った。そして、大阪・天満にある「東洋ショー劇場」に足を運んだのだった。
「人生を見ているみたいだな、と思いました。女性の裸を見ているようで、裸以外のことを見ているような」
素肌をさらして舞う踊り子たちを見つめながら、松田さんは普段なら気にも留めないであろう小さなアザや切り傷、ハンコ注射の痕さえ目で追っていた。それらはすべて、彼女たちが生きてきた軌跡だと思った。
「例えば宝塚歌劇を見ていても、役者の人生については考えないじゃないですか。でも、ストリップの踊り子たちは裸になってすべてをさらけ出している。“役”ではなくて、その人自身を見ているような気持ちでした」
踊り子たちはどこで生まれ育ち、ステージに立つまでにどんな人生があったのだろうか。同年代の踊り子も多く、「私も、これまで彼女たちと同じ時間を生きてきたんだな」と思った。
劇場は「人生の交差点」
以降はストリップに魅了され、全国の劇場を回るようになった。昭和の全盛期には日本に300軒ほどあったとされるストリップ劇場も、風営法による規制や娯楽の多様化などにより、今では20軒を切っている。松田さんが劇場に通い始めた頃、中国地方で唯一広島市に残っていた「広島第一劇場」も、閉館の危機にさらされていた。