1975年にオープンした広島第一劇場は、その特徴的な内装でも愛されていた。中央には赤いじゅうたんを敷いた回転舞台があり、それを取り囲む形で正面と左右に大きな鏡が取り付けられていた。松田さんもそんな劇場の魅力を愛したひとりで、「カメラが入れない場所だからこそ、誰かが撮らないと残らない」と考えるようになった。
広島第一劇場の楽屋からステージに下りる階段の壁には、無数の口紅の跡が残る。歴代の踊り子たちが唇を寄せ、「キスの壁」と呼ばれた / 撮影=松田優
だが、取材は難航した。はじめは閉館時に取材をしたいと考え、「閉館の時には撮らせてください」と劇場の社長に掛け合ったが、「また連絡するから」とあしらわれていた。
ただ、断られても客として通い続け、その中で「閉館はひとつのきっかけでしかなく、なによりもこの場所を記録し、ストリップという文化を残していくために取材がしたい」との想いを強くした。その想いを社長にぶつけると、「じゃあ今週、取材できるように踊り子には話つけとくから。あとは勝手にやってくれ」と、受け入れてくれた。
ストリップ劇場は「人生の交差点」
松田さんは、踊り子と接する中で彼女たちの優しさと強さを感じてきたという。ショーだけではなく楽屋で身支度やリラックスする姿を見たり、時には一緒に食事をしたりすることで、ひとくくりにはできない一人ひとりの個性や素の部分を知った。すると、撮れるモノも変わってきた。「ステージ写真は、誰が撮っても同じようにきれいですよね。でも私は、人柄がにじみ出る写真が撮りたい。彼女の魅力や素の部分はここだよな、とか」
撮影=松田優
ある踊り子が松田さんに、こう語ってくれたことがある。
「お客さんはステージを見ながら、言葉にできない胸の内を私たちの裸に重ねてるんじゃないかな」
その言葉に共感した。松田さんはストリップを見ながら「こんな風になりたい」と憧れる時もあれば、踊りと自分を重ね合わせてその時々の悩みについて考える時もある。
踊り子、観客、そして松田さん自身も、それぞれがそれぞれの人生を抱えて、この劇場に集っている。まさに「人生の交差点」といえた。これを撮ろう、と思った。