今年4月にCEOに就任したばかりの山田貴博は心境をこう明かした。
取締役になったのは2016年。指名報酬委員会のヒアリングで自分が将来の社長候補のひとりであることを知ったが、「そのつもりはない」と答えた。20年には代表取締役副社長COOに。当時の社長から次期社長として準備するよう求められたが、まだ迷っていた。重責を担うことが嫌だったわけではない。コンサルティングの現場が好きだったからだ。
「16年ごろからDXが注目され始めて、いろいろとダイナミックな動きが起きてきた。30年近くコンサルタントをやってきて、これほど面白いタイミングはない。現場から離れることは考えられなかったですね」
メンターからの助言で覚悟が固まった。山田には師として仰ぐ経営者が複数いる。相談すると、彼らは口を揃えて「変革の時代には日本やアジア発のコンサルティングファームが必要。それをつくることが山田さんの使命」と諭した。
日本発であることが求められていることは山田も肌で感じていた。「日本企業は自前主義で、組織がサイロ化する傾向があります。そこに世界のベストプラクティスをもってきても実現性は乏しい。日本企業にはその特性を理解したうえで組織間の障壁を壊し、新たな価値をつくっていくパートナーが必要です。今はいったん個人の興味を脇に置き、クライアントの変革、社員の成長のために動くべきだと腹をくくりました」
ただ、社長になった現在も、一部の案件に直接タッチしている。「周りからは経営に専念してくれと言われている」というが、どこ吹く風だ。
なぜそこまでコンサルティングの現場に強い思い入れをもつのか。山田は大学卒業後、外資系コンサルのアンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)に入社。会社が用意していた改革のメソドロジーを必死に学んだが、「周りには追いつけなかった。世の中には優秀な人がこんなにいるのだと驚きました」。
さらに厳しい環境で自分を磨こうと、デロイト トウシュ トーマツのニューヨーク事務所に転職。米国に進出する日本企業の支援をした。そのひとつが高級消費財ブランドの米国企業とのJV立ち上げだった。「現地スタッフ採用面接から、在庫管理、日々の経理処理まで、あらゆる実務をやりました。コンサルは机上の空論で実務を知らないとよくいわれますが、私はこの経験を実務経験としてもてたことが大きい」
以降、自分事として顧客と一緒に変革を推進していくやり方が山田のスタイルになっていく。