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2023.10.30 15:30

アウェイでも「銀座では迷わない」? スクラップ&ビルドで誕生した街

2023年のの和光時計塔(2代目時計塔)と銀座通り

私が上京したのは1982年のこと。高度成長期はひと段落し、でもバブルはまだ先の話という時代。

当時、大人の街としてアウェイ感しかなかった銀座へ何らかの用事で初めて訪れてびっくりしたのは「銀座は迷わない」ということ。東京の繁華街って道路は並行じゃないわ、道は微妙にカーブしててすぐ方向音痴になるわ、交差点は直角とか限らないし平気で五叉路とかあるしで、まあ迷う。

そんな混沌さが東京の魅力の1つでもあるのだが、銀座は違ったのである。道はまっすぐで見通しがよいし幹線道路に対して直角に路地が交わってるし、坂道もないし、銀座一丁目から八丁目まで規則正しく並んでる。

銀座は整然と計画的に作られた大人の街と感じたのだ。

なぜ銀座は東京の他の繁華街が持つ混沌さを持ち合わせてないのか。歴史や地形の観点から見ると興味深いのだ。

銀座の由来は江戸時代に銀貨鋳造所があったから

銀座の地名由来は江戸時代、そこに銀貨鋳造所が設けられたから。1616年、駿府にあった銀座を江戸に移したのが始まり。その場所は今の銀座二丁目。国立国会図書館デジタルコレクションにある1932年頃(江戸時代初期)の江戸絵図を見ると確かに、2丁目の東側に「銀座」と書かれている。銀座はそこにあったのだ。

1632年頃の銀座周辺。銀座一帯が川(人工河川)に囲まれた島のよう。当時の江戸図なので上が西で、右が北だ(『武州豊嶋郡江戸〔庄〕図』,〔寛永9(1632)頃〕刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286168)

1632年頃の銀座周辺。銀座一帯が川(人工河川)に囲まれた島のよう。当時の江戸図なので上が西で、右が北だ(『武州豊嶋郡江戸〔庄〕図』,〔寛永9(1632)頃〕刊. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1286168)

ちなみに「銀座」は通称で、町の正式名称は「新両替町」多くの江戸絵図では「新両替町」とあるが、中には「銀座」表記のものもある。正式に銀座になったのは明治以降だ。新両替町は一丁目から四丁目まで東海道沿いの両側町でほぼ今の銀座一丁目から四丁目の銀座通り沿いに一致する。

新両替町があるなら「両替町」もあるはず「銀座」があるなら「金座」はどうした。「金座」は日本橋の北側。今の日本銀行の場所だ。金貨を鋳造していた金座の場所に日本銀行が建てられたって話がデキすぎてる気もするけど。そして金座のまわりに「本両替町」があったのである。

金座があった日本橋はいうまでもなく五街道の起点にして日本の道路原点。そこからまっすぐ南へ向かう道が江戸時代の東海道だ。今や意識する人はほとんどいないと思うけど、日本橋から京橋・銀座を経由して新橋に至る通りが天下の東海道である。

江戸は武家地と町人地と寺社地に分けられていたが、日本橋から新橋への街道筋はすべて「町人地」となった。一大商業エリアの誕生だ。

と、話が日本橋まで飛んでしまったが、実はこれ、当時の地形を考えるとすごくわかりやすいのである。
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編集=安井克至

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