谷本:それでは、言語のイノベーションについて伺わせて下さい。昨今、ラグジュアリーブランドがシーズンのメッセージを発信する時、文章にせず、ポエムや音楽などで表現したり。感じたのは、時代性を帯びてしまう言語は、必ずしも未来を示さないということでした。新しい表現を作っていかないと、みんなの理解に繋がらない。だからあえて絵だったり、言語以外の別の表現を使っているのではないかと考えています。そこで伺いたいのが、これからの時代、どうやって「言語」を自分ごととして理解し、捉えていったらいいのでしょうか?
安川:言語というかテキストとは、広い意味でメディアの一つの選択肢だと捉えています。目的は色々違いますが、深い論理的思考や複雑な思想は、言語化されることによって多くの人と共有できる。Amazonの経営会議ではビジュアルを使うことを禁じていて、その場で全員が15分テキストを読んで、事実と論理を理解する方式をとっているんです。
一方、次々と言語を超えたハイコンテクストの表現様式が出てきているのも事実です。全てが言語化される必要はないし、マルチモーダルで直接人間の感性に訴えるものがもっと出てきてもいいとは思います。
霊長類は音楽的、身体的な意思疎通で仲間を作り生き延びてきた
さらに安川氏は今回、印象に残っていることとして、著書を読んだアーティストの友人からされたある質問だったと語る。それは、「人間の脳を使った活動として、音楽や舞踊はどこに入るのか」についてだ。安川:僕の整理では、認知革命で言語を取得する以前の、運動モードの一部に入るとは思っていますが、非言語の芸術的行為については、まだまだ探求が足りません。
先日、京大の前総長で、ゴリラの研究で有名な人類学者で霊長類学者の山極壽一先生に「人類史と現代人の課題」についてお話を伺う機会がありました。その際、先生の理論と私の本での整理・捉え方が概ね同じ内容で安心したのですが、新しい気づきとして得られたのが、「音楽や舞踊の人類史上での役割」についてでした。
先生によると、人類を含む霊長類はこれまで、音楽的コミュニケーションや舞踊などの動きの同期によって、言葉に頼らない、家族より大きな10名から15名の集団をつくって様々な生存競争に打ち勝ってきた事実があるということです。面白いのは、サッカーや野球等、スポーツのチームは大抵このサイズだと言われており、声を出す音楽や舞踏といった身体情報でコミュニケーションをとること、これも現代人である私たちが音楽演奏やフェス・ライブ鑑賞、スポーツなどを通して高揚感や一体感を得る時に体験する脳の働きと同じです。