仏研究者「クリティカル・シンキングが日本のアートを進化させる」

生成AIの登場、NFTの登場でクリエイターズエコノミーの裾野が広がっている。既存の価値観に挑戦するムーブメントを愛する自分としては、この新たなアート×テクノロジーによる新たな市場創造の動きはエキサイティングであり、大賛成の動きなのだが、同時に物足りなさも感じている。
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誰でも簡単に“アート”的なものを作ることができるようになっているが、それが本当にアートであるのか? アートの歴史・文脈の延長上にどのように位置付けされているのか? 作品が生まれるまでのプロセス、コンテキスト、なぜ生み出したのか? のWHYの視点、もしくは理屈なき情熱を感じることが少なく、新興テクノロジーを活用した作品や展示会を見ていても物足りないことが多い。

新興テクノロジーを用いたアートシーンの拡大を盛大に応援していきたい一方で、コンテキストの欠如があるまま、見た目のインパクトのみの作品やフォロワーの多さや広告費の多さにより盛り上がっている作品を両手をあげて賞賛していくのもなかなかしんどくなってきた。

では、どうしたらアート×テクノロジーの世界をより盛り上げていけるのだろうか?
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一つの仮説として、クリティカル・シンキングが広がることにより解決できるのではないか?と考えている。作る人にも、鑑賞する人にも作品に対する視点を深めることができれば良いのではないか?

ちなみに、ここで言うクリティカル・シンキングとは「しっかり物事を考えてアウトプットを生み出しているかどうか?」と言う言葉で置き換えても良い。我が母校、国際基督教大学(ICU)ではリベラルアーツで有名であるが「リベラルアーツ教育の基礎はクリティカル・シンキング」と謳っている。

“リベラルアーツ教育の基礎となるのが、クリティカル・シンキングです。クリティカル・シンキングは日本語では「批判的思考」と訳されることが多いですが、「批判的」という言葉を「否定的」と誤解している人もいます。しかし、これは誤りです。クリティカルの語源は古代ギリシャ語のkritikosで、「見分ける、判断する、理解する、意味を介する」という意味です。(引用:https://www.icu.ac.jp/news/2201281500.html)”

このkritikos視点をアート×テクノロジーのシーンに注入することができれば、アート史に刻まれる作品が増えていくのではないか?テクノロジーにより自分が表現したいものが簡単に手に入る様になった今、クリティカル・シンキングを養うことが大事だと考える。

この仮説は私だけが感じているものではない、南仏出身のデジタルカルチャー研究者ベノア・パロ(Benoit Palop)も同様の視点を有している。ソルボンヌ大学でデジタルメディアの修士号を、またリヨン大学/フロリダ国際大学でビジュアルスタディーズの2つ目の修士号を取得しているベノアはインターネットをベースに進化し続けるメディアアートへの研究に献身し続けている。2018年から東京に住み、日本のメディアアートにも詳しい彼は「クリティカル・シンキングは、アートを創造するだけでなく、考えさせる文章を書いたり、革新的なプロジェクトを引き起こすためのベースとしても非常に重要である」と語る。

当記事ではベノア・パロという人物を紹介しつつ、日本の若手アート×テクノロジーシーンの進化余地について、ベノアと私の考察を共有する。今後のアート×テクノロジー分野で作品作りを目指す方に少しでも参考になるところがあれば幸いである。
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