一方で、多くの記事や論考で語られる「アート市場」「アート思考」は、産業構造の正確な読み解きができていなかったり、アート対ロジックのような二元論に陥っていたりと、専門家不在の中で、不正確に解釈されてしまっていることもあるように思います。その原因として、アート業界には経営の専門家がいないこと。さらに、プロの経営者や経営戦略に携わる人達にとって、アートは取り組みの優先度として低いこと。そうした本質的なギャップがあることが、考えられます。
そこで、煽情的に騒ぎ立てるのではなく、あくまで理知的に、かつ現場の感覚を持ってこのテーマを考えることは、日本の経済、産業、社会にとって大きな意味があるのではないかと私たちは考え、この連載の執筆をはじめました。今のタイミングだからこそ、本質的なことを伝えたいと思っています。
アート産業自体の活性化や、企業におけるアート活用とその価値、地域経済・コミュニティにおける付加価値の向上、そして隆盛するテクノロジーの活用方法などについて、統合的な視点で考えることは、知的で大変おもしろく、かつ社会的な意義があります。
日本のアート市場は、グローバル市場におけるシェアがまだ1%程度しかありません。グローバルで活躍するアーティストも、ごく一部です。企業に目を向けると、海外では様々な企業がR&Dにおいてアーティストと連携したり、多くのベンチャー企業のCEOがアートスクール出身だったりします。しかし、日本の企業では経営とアートとの距離がまだまだ遠く、企業のCEOや経営層、官公庁のキーパーソンたちも、試行錯誤の段階にあります。
だからこそ、この領域を読み解いて、日本の産業や地域、アーティストの活性化をしていく余地は大きいのです。
今が、国としての転換期
そのような中、日本政府にも大きな動きがあります。経済産業省が本腰を入れ始めました。2022年、総勢35名の有識者からなる研究会「アートと経済社会について考える研究会」を設置。アートと経済社会との適切な距離感について議論を重ねてきました。2023年7月には、その成果を報告書として公表したのです。私も委員として参加しましたが、アート業界と経済界が本音で意見を言い合い、前向きに進めていこうとする熱量には、とても引き込まれるものがありました。世界でも先進各国は、文化と経済を戦略的に関係づけ、政策、企業活動、文化活動をうまく融合させています。例えば、米国では富裕層の戦略的な優遇、フランスでは歴史的な文化の尊重とビジネス化、韓国ではクリエイティブ産業とベンチャー育成というように、彩り豊かな戦略が展開されています。日本も同様に、戦略的なグランドデザイン(全体構想)が必要な時期だと言えるでしょう。