小梶は、1991年のフランス旅行以来30年以上続けてきたというスクラップ作業を通じて、本当に必要な「モノ」について考えるようになったという。
モノを買うということ、売るということ
溜めていた雑誌や本を選別してスクラップするという行為は、ミニマリスト的な発想とも言える。しかし、若き日の小梶はモノを買い集めることに積極的だった。「モノを買うことによって自分がより大きく、えらくなったような気がした。そんな時代だったかもしれない」と、自身が過ごしてきた20世紀後半の大量消費の時代を振り返る。
箱付きのスクラップブック
小梶も実際に“家”を筆頭にさまざまなモノを所有し、街で飲み食いしてきた。
「若いうちはありとあらゆるものを、できることなら摂取したほうがいい。そうでなければ分からないことも多いから。いま注目されている“ミニマリスト”になるのは年をとってからでいいと思う」
例えばだけど随筆家の白州正子はこう語っている、と小梶は教えてくれた。
《自分が“もの”と付き合うこと。それには、身銭を切って買うことです。博物館で解説を読み、眺めているだけでは、いつまでたっても“もの”はわからない。買う時には人の意見に頼らず、選ぶ基準は自分に置くこと。そうして付き合ってみると、陶器をはじめ、骨董から教えられることは多いですよ。自分発見の種になります》
『白州正子“ほんもの”の生活』
骨董といった類いのモノは、例え身銭を切って手にいれたとしても、自分の好き勝手に消費できるわけでもない。人の手から手へと時を超え受け継がれてきた骨董は、次のしかるべき人に渡すまで“預かっている”ようなものかもしれない。
手書きタイトルのスクラップブック(2009年)
小梶自身も、さまざまな出会いのなかで、資本主義経済の原則から外れたところに存在するモノもある、そんなことに気付かされたという。
最近、小梶は10年ほど前に購入し手元に置いていた掛け軸を、元の古書店に“戻した”。「いついくらで僕が購入したか、古本屋さんはちゃんと記録していましたよ。僕はすっかり忘れていたけどね」と苦笑した。