抜き出したページをかき集め、ハサミで切り抜いては自らが正しいと思える順序で再レイアウトし、厚紙に貼り付けた。そこにオリジナルのイラストや文章を書き加えていった。
最後は梱包用の強固なビニールテープでコーティングすると、世界でたった一冊の自分の雑誌ができあがった。後からページを加えたくなったら、何度でも気がすむまでバラして再編集することも可能だ。「自分の理想の雑誌を作りたい」そんな欲求があったことを、若き日の小梶は自らのなかに認めた。
スクラップブックには雑誌と大きく異なる点がある。それは、人に見せたり売ったりすることを前提にしているわけではないということだ。そのため、誰かに気を使い配慮する必要もない。
スクラップ作りにおいて、製作者はすべての役割を担う。編集長であり読者、デザイナーでもあり製本者でもある。他者が介在しないその制作過程により、スクラップブックには独自のピュアネスが宿る。
「極めて個人的な作業なんです。莫大な情報の海から素手で海水を汲む作業。それを飲み水に濾過して飲む作業です。これにより情報が自分自身の血となり肉となるんです」と小梶は語る。
東京での「居住空間と家賃との戦い」
日本で、とりわけ東京で暮らすということは「居住空間と家賃との戦い」だと小梶は言う。そんな彼にとって、スクラップ作りは部屋の物理的な制限に迫られて、必要なスペースを確保する行為でもあった。収納場所の問題は、今も昔も本好きやコレクターが頭を悩ますところだろう。小梶はその問題に直面したとき、多くの人が取るであろう“消去する”という方法をとらず、取捨選択をして“圧縮する”という方法をとったのだ。
編集者・花森安治に関するスクラップブック
だが2010年以降、急速にスマートフォンが普及し、誰もが情報を手のひらサイズの端末で一元管理できるようになったためか、小梶はスクラップを作るペースを減速させていく。
スマートフォンが普及するにつれ、“カタチ”や“重さ”を失っていった情報や言葉に対する、ささやかな抵抗をしてきた彼にどんな変化があったのか。
「私のスクラップブックは失われつつある情報の肉体感、つまり“モノ”としての存在感や手触り感そのものです。ですが、もうあと数冊でいいような気がしてきました。理由は、世の中のテクノロジーの進歩という側面ではなく、自分の加齢が原因です。還暦に近づき、インプットする時期がほぼ終了してきたということでしょう。言い換えると“じぶん探し”の終了。モノに対する態度が変容したのだと思います」
>>後編 「生きるとは選別すること」 100冊のスクラップをつくって気付いたこと