物語を語り継ぐ者たちの力があれば、乗り越えられる
20世紀中頃から冷戦下の国策のもと、華々しい成果とは裏腹に、宇宙分野に関連する研究施設は関係者以外立ち入ることを許されない閉鎖的な環境だった。20世紀最高の研究機関のひとつであるウィルソン山天文台も例外ではない。
ではなぜ21世紀の今、ウィルソン山天文台はファンが自由に集う聖地へと転身を遂げられたのだろうか。Tim氏に率直に聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。
「研究活動であれ、一般公開であれ、それはウィルソン山天文台の大きな物語の一部だ。私はそれを当事者として語り継ぐ者を育てている。ファンが集う場所になったのはその結果に過ぎない」
「天体観察であれ、パーティーであれ、現在を生きる誰かの人生の一部の舞台である限り、またその物語を語り継ぐ者がいる限り、この天文台が役目を終えることはないだろう」
ウィルソン山天文台を支えるTim氏の哲学、これを象徴するエピソードがある。
コロナ禍のさなかの2019年、施設運営もままならない中、未曾有の森林火災がウィルソン山天文台を襲った。幸い歴史的な望遠鏡群は被災を免れたが、多数の屋外施設が甚大な被害を被った。ウィルソン山天文台は、100年を越える歴史の中で、一貫してカーネギー財団から出資を受けている。しかし2019年の損害はそれだけでは到底賄うことが不可能な規模だった。
この窮地を救ったのは、ウィルソン山天文台を愛する多くのファンだった。天文台の窮状を知るやいなや、小口、大口の寄付が相次いだ。中でも最大だったのは、生前からウィルソン山天文台の活動をリスペクトしていたTim氏の友人からの多額の遺産の寄付だったという。
「未曾有の災害は起こる。根本的にそれに備えることはできない。しかし、物語を語り継ぐ者たちの力によって、乗り越えることが出来る」
Tim氏の言葉は、熊本地震に被災し、公開天文台で災害からの復興を経験した筆者の胸を強く打った。ウィルソン山天文台は、研究の第一線を退いてなお、はるかな宇宙と人類の物語を未来へと紡ぐという使命を担う最先端の天文台であり続けるだろう。Tim氏との出会いは、公開天文台における解説技術や人材育成プログラムを研究する筆者にとって、日本の豊かな天文文化を次世代へと受け継いでいくことの意味を深く考える得がたい機会となった。
髙野敦史(たかの・あつし)◎熊本県阿蘇郡にある公開天文台「南阿蘇ルナ天文台」副台長、併設のオーベルジュ「森のアトリエ」支配人。天体観察会解説技術研究が専門。2022年に米国天文台のアウトリーチ活動の調査を実施。