伝統技法や最先端のテクノロジーをかけ合わせ、新しい価値の造形を追い求めるsecca。豊かな食文化が根づく金沢で問い続ける、ものづくりの未来形とは。
「日本のものづくりのその先を描くため、歴史から何を受け継ぎ、どのようなかたちで未来につなげていきたいのか。それを模索した10年間でした」
secca設立10周年を記念した展覧会で、代表の上町達也は「巧藝(KOGEI)」という新たな定義を発表した。「巧藝」とは“日本で磨かれてきた独自の美意識と技能を受け継ぎ、現代の思想と先端技術を含めた巧みな技能によってつくられる、藝術に値する現代の上手物”のこと。今の時代に合わせて、多様化する「工芸」をとらえ直し、seccaとして大切にしていきたい価値観を示した。先人が積み上げてきた美意識や技能を敬いつつも、新たな工芸のかたちをこれからも模索していくという姿勢を表明したのだ。
「seccaはまだ未完成であり、永遠に完成することはないでしょう。『なぜ今それをつくるのか』という私たちの問いはこの先も続いていき、進化し続けていくからです。これからも、国内外の同志と豊かな未来を目指して『問い』を表現し続けたい」
上町は金沢美術工芸大学を卒業後、大手カメラメーカーのインハウスデザイナーとして新製品の企画に携わった。何年もかけて製品の価値について議論し、モックアップを製作し、ようやく上市されたものの、その1年後にはワゴンセールに積まれてしまう現実に強い違和感を覚える。
「自分が納得のいくものづくりとは、すぐに消費されるものではなく、手にした人の心を動かし、持続的な価値をもたらすものを生み出すことだと気付きました。かつて職人が長い年月と手間ひまかけて丁寧につくり上げたものは、人の心を動かし、大切に受け継がれ、時を経てもなお、多くの人々に感動を与え続けています。規模は小さくても、この時代に自分にしかできないものづくりを目指したいと思った」
起業を決定づけたのは、2011年の東日本大震災だった。安全な水や食への意識が急激に高まる状況から、人の価値観に大きく影響を与える「食」にものづくりでかかわりたいという思いを強くした。
創業の地には金沢を選んだ。
「金沢は、食文化を織りなすものづくりが豊かな街。食材や水などの地域資源に恵まれ、それを生かす発酵技術や優れた料理表現、さらには道具や様式といった文化が根付き、深い理解もある。街をつくるのはそこに暮らす人の感性そのもの。金沢には、伝統は過去のものではなく、未来に向けて磨き続けなければならないもの、伝統は革新の連続であると考える人が多い。だから、リーダーたちも、この街を面白くしてくれる人を外からどんどん迎え入れてくれる。私にとっては大きな後押しになりました」
こうして立ち上がったseccaの指針に共感したのが、パートナーの柳井友一だ。工業デザイナーの道を歩んでいた彼もまた、価値が持続するものづくりを志し、陶芸家へ転身していた。上町は、「食」に欠かせない器の製作を柳井に託した。