創造性の高い人たちというのは、特別なことをしているわけではなく、いろいろな業界でいろいろな経験をしています。私自身、食をやったり、映画をやったり、非営利をやったりしているので、最初は何をやっているのかわからない怪しい人として見られるんです。でも、いろいろやってきたことが、10年たった今ではそれなりの経験になっています。
例えばSplendent Mediaでアル・パチーノと映画を作ったとき、私はインテリな映画が好きだけど、アメリカ人は派手なエンターテインメントが好きな方が多いというなかで、自分が作りたいものと相手がほしいものの差を埋めていく作業をしなければなりませんでした。その経験はフードロスバンクで規格外品を魅力的にブランディングでして、より多くの人に受け入れてもらえるようにする時に役立っています。自分の仕事の中にもConnecting the dotsはあると感じています。
中道:そういう動きの中でリチャード・ブランソンとの話も広がっていったのでしょうか。
山田:そうですね。米テレビ局「FOX」でリチャードが気球で世界1周する番組をやっていたのですが、それに同行されたリチャードのお母さまがモロッコで苦しんでいる子どもたちに遭遇して、力になりたいと思われたのがきっかけでした。それで、当時米国のプライベートファンドのボードをしていた私に声がかかりました。
2週間に1度開かれるコミッティー会議にオークションアイテムを持っていかなければならないのですが、他のメンバーは、あれができるこれができると話が大きくてすごいなと。でも、20代前半だった私ができると言えるのは本当に小さなこと。
それで2週間後にまた集まるわけですが、言ったことを実行していたのは私だけだったんです。その2週間後も私だけ。約束を守るという気質は、自分たちでは気づいていない日本人の良さで、海外の人たちはそこにすごく価値を感じるようです。
「When in Rome, do as the Romans do.と言うけれど、早輝子はローマに行ったらローマ人のようにできるけれど、ローマ人にはならないね」と言われました。英語ができて、アメリカの慣習を理解しても、アメリカ人のようにはならない。海外に出ても日本人の良さをなくさないというのは、すごく大事なことだと思います。
ダイバーシティもそういうことだと思うんです。アメリカでアメリカ人になろうとするのではなくて、日本人の良さを多様性としてどう生かすかを考えること。
私は海外の仕事のなかで「若い・アジア人・女性」という三重苦を味わいました。だから、みんなと違うところをどうやってプラスに持っていくかを考えました。それが多様性の大切なところで、多様性を生かすことができればプラスに作用するということはアメリカが教えてくれました。