ダンスパフォーマンスの可能性を開拓し、ダンス界の変革に挑む。
ランダムに流れる曲に合わせ、即興で踊るダンスバトルのステージで、ダイアナ・ロスの「I’m Coming Out」が偶然流れた。彼は思った、「勝ったな」。そして彼が踊り始めると会場は一気に歓声と熱気で包まれた。観客は思わず立ち上がり、拳を突き上げ、誰もが彼の動きに夢中になった。
昨年12月、南アフリカで行われたフリースタイルダンスの世界大会「Red Bull Dance Your Style」で縦横無尽に踊り続けた彼は、19歳で日本初のチャンピオンになった。「優勝するとは思わなかった。思い出すと笑けてくるくらい体力的にキツくて、踊り切ることに必死でした」と笑いながら当時を振り返る。その様子はTikTokやYouTubeなどSNSで拡散され、彼の圧倒的な表現力が世界中の人々を魅了した。
好きを追求した先に
一夜にして、ダンスの世界王者となったTHE D SoraKiの始まりは4歳のころ。ダンススクールに通う姉の影響で習い始め、ヒップホップから始まり、全ジャンルのダンスを練習した。同年代の子がダンスから離れていったり、ダンスバトルに出ても勝てない時期が続いたりしたこともあったが、やめようと思ったことは一度もなかった。「踊るのが好き」という気持ちは幼少期から変わらなかった。高校生のころは新型コロナウイルスの影響で大会が減り、披露する場所がなくなった。誰かの前で踊りたい気持ちを消化しようと、約3年間毎日インスタグラムでダンス動画を投稿した。昼間の公園や夕方の堤防、夜の高架下、旅をするようにいろんな場所で踊った。
「でも外で踊ってたら警備員とかに怒られるんです。もっと気楽にダンスできる場所が増えるといいんですけど」。そう言って場所を変えながら昼夜問わず踊り続けた。5000人だったフォロワーは10万人に増えた。そんな日々の投稿はRedBullの目にも留まり、昨年の大会出場につながったのだ。練習のモチベーションについて聞くと「ダンスが大好きだから、毎日踊りたいから踊っているだけ」と答える。
そんな「好き」を追求し、頂点に立った彼に今後のダンサー人生について聞くと、「ダンサーの地位を上げていきたい。バックダンサーや振り付けだけじゃなくて、ダンサーが表に立って活躍できる場所を増やしたい」と目標を掲げた。
ファッションショーでダンサーが踊ったり、有名ラッパーとコラボしたステージを披露したり、「ダンサーの可能性を広げていきたい」とダンス界の発展を望む。「見てる人もダンスをラフに楽しんでもらいたいです、踊ってても怒らないでほしい(笑)」。
7月に20歳を迎えた彼は「20代のうちにスーパーボウルのハーフタイムショーでTHE D SoraKi として出演すること」と意気込み、ダンス業界で新たな未来を切り開く。
ジャケット48000円、シャツ31900円、パンツ33000円(すべてディスカバードTel:03-3463-3082)、スニーカー57200円(ディーゼル/ディーゼル ジャパン Tel:0120-55-1978)
ざ・でぃー・そらき◎2003年、神奈川県生まれ。4歳からダンスを始め、バトルや振り付けなどダンス界で活躍するYOSHIEに師事。ヒップホップをはじめあらゆるジャンルのダンスをこなし、世界中のダンスバトルで活躍。 THE Dは、小学生の時に有名なフランス人ダンサーが名付けた。