自身の悩みだった部分をポジティブに捉えて発言・行動をする一方で、感情の奥深いところで、まだ自分自身を肯定できていなかったからではないか、と筆者は考える。
状況は次のような感じ。ダイバーシティを掲げて活動するスーパースター・リゾだが、元ダンサー3人からセクシュアルハラスメントを受けたり、敵対的な職場環境に置かれたりしたとして訴えられた。「クラブで裸のパフォーマーの体に触れるよう強いられた」「体重の増加をなじられて恥をかかされたうえ、解雇された」といった内容だ。
これにより、これまでのリゾの社会に向けたポーズやスタンスが、偽りのものであったと批判されたわけだ。
自己肯定と自己否定のバランス
人間とは自分のことを「全肯定」はできない生き物だろうが、肯定と否定のバランスをなんとか保って生きている。リゾの場合、本当は「自己否定」が自己肯定より多く、半分以上を占める不安定な比率になっていたのではないだろうか。人に見られる職業の人々は、パブリックな場ではアドレナリンを放出すると共に、ポジティブ(陽)な側面を200%出すべく振る舞っている。一方で、人に見られ続けることでストレスも多くなる。一度ステージを降りると、ネガティブ(陰)の部分が放出されるのだろう。その陰陽バランスが取れなくなれば、理性も働かなくなるし、根深いところにある“古傷”が表に出てきてしまいかねない。
人間は、自分が言われたり受けたりしてきた仕打ちを、無意識に他人にやってしまうことがある。辛い経験から大事なことを学び、深く理解して自分の中で消化し、「自分がやられて嫌だったことは、他者には絶対にしない」と固く決心するくらいに昇華できた人は別だ。実際、そこまで昇華するのはなかなか難しいこと。リゾも、幼少期に体型に関する悩みを抱えていた。その傷が、生のまま残っていたのかもしれない。
リゾはスーパースターなので、たくさんのファンがいて自己肯定感が上がるのではないかと思う人もいるだろう。しかし、チヤホヤしてくれる人の数が多ければいいというものではない。ほんの少数、たった一人でも、自分のことを認めてほしい人から認められ、賞賛され、受け入れられることが何より大事だったりする。その安心と満ち足りた感覚があってこそ、自信につながるのだ。
なお、たとえ最初はポーズであったとしても、ボディポジティブを掲げ、表舞台に立つことは大事だ。それが注目を集めるための手段であっても良いと思う。それがなければ何も始まらないから。それが本物になるか虚偽の姿になるかの分かれ目は、「継続できるか」どうかというシンプルなこと。だからこそ、何らかの齟齬が出てくる前に、表現における軌道修正をする必要があったのだろうと思う。