2023年4月号のForbes JAPAN「スモール・ジャイアンツ」特集で「GREEN REVOLUTION賞」を受賞した三重県津市のあさい農園は、トマトやキウイフルーツの農場を運営するにあたり、収穫・運搬ロボットを導入するスマート農園を展開している。農業情報学会が主催する「農業イノベーション大賞2020」では大賞を受賞。研究開発型の農業経営や、異業種企業との共同出資型の事業展開などで高い評価を受けている。
グループ全体での年商は年々伸び続け、昨年は約30億円。従業員数は約500人。うち8割程度がパートタイム社員で、正社員は100人ほど。ただの農作業者ではなく、アグロノミスト集団(農学士)集団になることを目指し、日々トマト栽培に注力している。
花木生産を家族で営むあさい農園の5代目として生まれた、代表の浅井雄一郎にとって、現在のあさい農園の姿は19歳のときにアメリカで見た農園が原体験となっている。
「農業は英語ではアグリカルチャーといいます。そして、従来の日本の農業は地域文化に根ざしたアグリカルチャーの要素が非常に強い。しかし、僕がアメリカで見た農業は、アグリインダストリーでした。地域の中に多様なプレイヤーがいるなかで、一つのビジネスの主体となって地域に新しい産業を作っていく。伝統的なアグリカルチャーをしっかり守る人も必要ですが、僕は自分の実家のあさい農園をビジネスを通じて地域の経済的な発展に貢献するものにしたい。当時はここまで明確に言葉にすることができませんでしたが、いまにして思えば当時のイメージはこのようなものでした」
やがて東京の企業に就職し、農協や農業関連企業のコンサルティングに従事。友人と農業ベンチャーを創業するなど、ビジネススキルを磨いたのちに2008年、28歳であさい農園を受け継ぐ。家族で営んでいた花木農家は経営が立ち行かなくなっていたことから、「以前食べたトマトが感動するほどおいしくて、トマトが苦手だった自分でも食べられた」ことをヒントに、トマト栽培をスタートする。
「農地こそありましたが、カネもなければ人もいない。リソースはまるでありませんでした」
そんな0からのスタートを経て、少しずつ増えていく仲間とともにハードワークの日々。やがてあさい農園のトマトの味が認められ経営も徐々に上向きになっていく。しかしながら実態はあくまでも旧態依然としたトマト農園。プレハブの社屋で、作業着を着て手ぬぐいを巻いてトマトの世話をする日々。そんなあさい農園に大きな転機が訪れたのが2015年のことだ。
農家から、研究開発型の農業カンパニーへ
「本社もきれいなものを思っていましたが、まず自社で研究し開発をしたいと考えて、研究棟を作ったんです。その年に、初めて博士号を持った人材が入社しました。現在のスローガンでもある“常に現場を科学する、研究開発型の農業カンパニーを目指す”という目標が明確になったときでした」
アグリカルチャーからアグリビジネスへの転身。「漫画の“ワンピース”でいうと麦わらの一味が揃って、いよいよ世界一周に漕ぎ出すときのムードでした」と浅井は振り返る。
まだ社員数は30人程度。ともに働く仲間たちが同じ夢を描き、日々切磋琢磨する。そんな理想のチームがそこにあった。この奇跡はどうして生まれたのか?
「農業ビジネスを目指していたことで、あさい農園には人が入りやすかったんですよ。子供の頃に植物が好きだった子も、大人になるにつれて農業・植物に関する働く場所を見つけられずに違う職へと進んでいく。大学の先生になるか、県の研究施設に入るか、くらいしかないんですよね。農業の現場で植物に触れながら働ける箱がほとんど存在しない。なぜかというとほとんどの農家は家族で営んでいるから、他人が入れる余地がないんです」
当時のモチベーションは「もっと強くなりたい」。ひたすら美味しいトマトを作っていたあさい農園だったが、客からもっと甘いトマトがほしいとリクエストされても、それを開発する力がなかった。2015年から研究開発に注力することで、商品開発のチームも立ち上がり、農家から農業企業にステップアップしていくとともに、設備や人材、研究費といったリソースも充実していった。
社長としての浅井はいったいどのようなリーダーシップを発揮し、このような成長へとあさい農園を導いたのだろうか。
「冷たい言い方かもしれないんですが、一人ひとりが自立するよう意識をしました。あさい農園という箱、立派なハウス、立派な研究棟、それらを彼らの人生のなかでうまく活用してもらいたい、そう伝えていました。もちろん箱を作るのは誰かおせっかいか言い出しっぺがいないとできませんから、それは僕がやりますと。でもこの箱を活かすのも殺すのもみなさん次第ですよ、そんなスタンスでした」
従業員たちの人生を農業ビジネスのなかで輝かせる、その取り組みは浅井の言葉を借りれば「利他の精神で、みながワクワクできる箱を作ること」だったという。農業が、植物が好きな人材が集まる箱だから、研究開発への投資にも理解が得やすいと感じていた。企業との共同出資による研究にも積極的に取り組んだことで、自分たちが新しい農業のモデルケースになっていく、そんな「誇り」も生まれた。
従業員が100名に近づいてきた2017年には大胆な組織改革にも取り組んだ。それまで生産、研究、流通の3つの事業部だった組織を、ティール組織へと変更。9つの小さいビジネスユニットに分けることで今までトップが3人しかいなかった組織に9人のリーダーが生まれた。自立を求める浅井は、その一方で若手の育成にも早くから着目していた。
「人を育てるのはやはり環境とポジションだと思っているので、若い時からリーダーの経験を積めるような組織にしたんです。そしてこの9つのビジネスユニットが有機的に連動していくような組織を目指して。そして大事なのは、自分がなにもしないこと。これがかなりうまくハマりました」
多くのベンチャー企業が、現代らしい働き方、モダンな組織のあり方を目指してティール組織へと変革をし、そしてこの有機的な連動に苦心するケースは当時しばしば起きていた。なぜあさい農園ではこの改革が成功したのか。
「僕らの生産現場では人間を中心に考えるのではなく、あくまで植物を中心に物事を考えていく必要があります。花が咲くタイミングなんてピンポイントで予測できません。キウイフルーツの花は1年に1回だけ咲くのですが、そこにあわせて受粉をやらないといけない。そういうときには他のチームにサポートしてもらわなければ、という形でインタラクティブな連動が植物をきっかけに生まれやすかったんです。ビジネスユニットは少人数で機動力も高いですし、この規模では非常にうまくいきましたね」
このように組織が安定していくことで、浅井は安心して外向きの仕事に取り組むことができる。農業をキーにした地方創生など、浅井への講演を求めるオファーは多く、月に数回の講演を行っている。また視察やコンサルティングのための打ち合わせでは山中の農園へと自ら自動車を運転して向かうことも多い。
自動車での移動が多い浅井が憧れたクルマ
「自分の運転するシーンを考えると、やっぱりSUVが自分のスタイルに合っている。今回少し乗らせていただいたレンジローバーはSUVのなかでの最高峰として、憧れていました。
この洗練されたシンプルさ、スタイルへの憧れは強くあります。クッション性の高いサスペンションからの乗り心地の良さは素晴らしいですし、実は小回りが効くというところも仕事の移動では助かるなと感じました」
あさい農園のキーワードは「常に現場を科学する」そして「植物と一歩先の未来へ」。シンプルながら洗練された言葉で社員の心をひとつにする。考え方も、身の回りのものも、シンプルなものを好むという浅井らしさがここにも見て取れる。さらに言えば、虚飾を廃したレンジローバーの先進的なスタイルは、シンプルで未来志向の浅井のスタイルともぴたりと合致する。
「内装もまるで高級なホテルで過ごしているように居心地がよく、所有欲を満足させてくれそうな感じです。もともと高級SUVのパイオニアとして生まれたというヒストリーも素敵ですよね。歴史を通じて造形やディテールはアップデートされながら、高級であるとか、洗練されているといった、本質的なレンジローバーの価値は変わっていかないのだろうなと感じます。
あさい農園もそうありたいなと改めて感じます。来年で設立から50周年でCI(コーポレート・アイデンティティ)周りをリニューアルしようと考えていますが、我々が目指す会社のコアな取り組みは絶対変えたくないですし、常に挑戦し続ける組織でありたいと思っています」
国内外の農業従事者から注目を集めるあさい農園。先月はケニアに視察へ行き、北海道での農業開発のプロジェクトも進行中、沖縄の宮古島にも拠点があり、宮崎県からも誘致のオファーがある。それらの全てに基本的なスタンスとして、あさい農園のスタイルが求められるのであれば地域にこだわらずに「箱作り」をしていこうと考えているという。
「日本だけでなく世界で、所有と利用のあり方をもう一度見直さないといけない時期だと思っていますし、社会には新しい価値観が生まれ始めています。所有者が必ず利益を得る、というあり方だけではない、新しい形があるのではないか。そんな農業インダストリーの新しい価値が、各地域にあわせてワクワクする箱として増えていったらいい。その手伝いをあさい農園ができるのであれば、僕はどこにでも行きます」
浅井が、そしてあさい農園が社会に求められる、その実感がチームの誇りとなり、明快なコンセプトのもと一致団結して突き進んでいく。「農業インダストリーの先駆者になりたい」と夢を語る浅井は、まさにその道のさなかにいる。
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