東京には、その哲学を受け継ぐ店「MAZ(マス)」がある。2022年のオープン時、27歳でヘッドシェフに抜擢されたのが、セントラルのオーナーシェフ、シェフヴィルヒリオ・マルティネスの右腕を務めていたサンティアゴ・フェルナンデスだ。世界一のシェフが見込む逸材が考える、アンデスの知恵を伝える料理とは。
サンティアゴ・フェルナンデスは、ベネズエラで食を愛する会社経営者の父と、教育熱心な母のもとで育った。週末はホームパーティで両親の手伝いをするなど、食は常に身のまわりにあった。子どもも大人と同じように外食をする家庭で、初めてミシュラン星付き店で食事したのは、6歳の頃だったという。
「自分のために椅子を引いてくれる人がいて、美しく畳まれたナプキンが置いてある。今でもその光景をはっきりと思い出せます」
この世界で生きていこう、と決めたのは12歳の時。料理の授業で、家庭料理の代わりに、当時最先端の分子料理学を教えてくれた恩師のおかげだった。科学の視点を取り入れ、オリーブのピュレで球体を作るなど、これまで知っていたものとは全く別の「新しい料理」に魅せられた。
その後、料理を学びながら大学の学位が取れる、スペインのバスクカリナリーセンターへ。そこで興味を持ったのは、食物歴史学だった。トマトやジャガイモはアンデス原産だが、それが、海や陸を渡り、世界の料理に欠かせない食材になっている。南米の食の原点を振り返る面白さに目覚め、その風土や文化を徹底的にリサーチし、芸術的なプレゼンテーションで提供していた「セントラル」に進むと決めた。
「生産効率の良い改良品種ばかりが栽培され、原種は今や希少なものとなっています。今後起こりうる気候変動などに対応するためにも、収穫量を問わず、多様な種を守り続けることは生き残るために不可欠」と、生物多様性の大切さを訴えるフェルナンデスだが、かつては彼も、独自の食文化にあまり興味のない若者の一人だった。
祖父母の家は、ベネズエラ側のアンデスの山あい、標高4000mほどの場所にあり、幼い頃から遊びに行っていた。そこで、今MAZで提供しているアンデスの原種の根菜「オカ」や「オユコ」を目にしていたが、当時は「自分たちには関係ない食べ物」と思っていた。