思い切って声を掛け、その後「放送作家部」という放送作家志望の学生を集めた企画会議に入れていただけることになりました。その後、大学3年、21歳のときに「学生才能発掘バラエティ 学生HEROES!」(テレビ朝日)という深夜番組で、放送作家としてデビューしました。
2014年には23歳のときに「笑ってはいけないシリーズ」に参加。先輩作家さんから「時間があり大量のアイデアが出せて、お笑いに詳しくてモチベーションが高い若手作家を探している」と聞いて、「やりたいです」と手を挙げました。
いざ会議に行ってみると、こうやって笑いをつくっているのか…“ガキの使い”スタッフは凄すぎる…と圧倒されました。30年間以上もお笑いを研究し続けてきた凄い方ばかりです。積み上げている質と量が桁違い。先輩たちのアンテナは高く、情報の鮮度は若者と変わりません。僕はまったく通用しませんでした。ただ、憧れの番組でもあったので「ここで認めてもらわなければ終わりだ」と、2〜3カ月間、苦戦しながらアイデアを出し続けました。
そのなかで、芸人さんの歌ネタを他の芸能人が替え歌して披露する、というネタを担当することになりました。なかなか通用しない中でもこの手の短いフレーズのネタだったら戦えそうだと、会議で山ほど提案してなんとか採用されました。毎日毎日睡眠時間を削って考え続けて、爪痕を残そうと戦い続けました。
番組を面白くすることに貢献できなければ1回で終わりの厳しい世界です。最後の会議が終わるときに、自分が放送作家という職業を知ったきっかけである高須さんから「ときお、来年もまたよろしくね」と言われて本当に嬉しかったです。
「YouTube放送作家」への挑戦
2020年に『YouTube放送作家』(扶桑社)という本を出版したんですが、その企画とタイトルは友達の編集者が考えてくれました。「YouTube放送作家」というキャラクターに行き着いたのは、静岡朝日テレビから「YouTube番組をやらないか」と誘われたことがきっかけです。2015年ごろからLINELIVEやABEMAなどのネットテレビの仕事を多数していたこともあり、声をかけていただきました。
そこで2016年にAマッソさんや霜降り明星さんと番組をスタートさせました。YouTuberという存在が少しずつ目立ち始めた時期で、新しいプラットフォームで同じ世代の芸人さんと一緒にのぼっていきたいという思いがありました。