テレビとYouTubeの交差点に立つ。放送作家・白武ときおの「天職との出会い」

映像作品にのめり込んだ高校時代

テレビが好きになったのは、小学3年生のときに好きな女の子が「『学校へ行こう!』(TBS)が面白いよ」と教えてくれたことがきっかけでした。最初はその子との話題づくりのために見始めたのですが、めちゃくちゃ面白くて、いつの間にか毎週見るようになりました。

それだけでなく、ダウンタウンさんや島田紳助さんが好きな父親の影響も受けました。今放送作家として携わっている「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の「笑ってはいけないシリーズ」は、僕が小学生のとき(2003年)に始まったのですが、父親と一緒に笑いながら観ていました。「これが今一番面白いテレビ番組だ」と思い、そこからダウンタウンさんが出ている番組をたくさん観るようになりました。

そんな“好き”という気持ちが大きくなり、映像作品の鑑賞に明け暮れたのが高校時代です。中学時代まではサッカーをやっていたのですが、高校では部活の縦社会が向いてなさそうなので帰宅部に。ピザ屋でアルバイトをして貯めたお金で、テレビやスピーカー、レコーダーなどを買い揃えました。

そして、録画しておいた面白いバラエティ番組を観たり、レンタルDVDを観たり。当時はTSUTAYAで “10枚1000円”のキャンペーンがあったので、毎週通って片っ端からDVDを借りていました。1日1作品以上は観るペースです。

バラエティ番組であれば、「ダウンタウンのごっつええ感じ」「ウッチャンナンチャンのやるならやなねば」(ともにフジテレビ)など1990年代の代表的な番組を。バナナマンさんやラーメンズさんなど、芸人さんの単独ライブのDVDもたくさん観ました。何年先にも残る、何回見ても面白い作品性のあるものに惹かれていったんです。

映画や海外ドラマのDVDもたくさん観ました。『死ぬまでに観たい映画1001本』(ネコ・パブリッシング)という本を網羅すべく、自分にミッションを課すように観ていました。気に入った監督がいれば、その監督の作品を全部観る、ということもやっていました。 

なぜ放送作家を目指したのか

放送作家という職業を知ったのは、高校生のときにダウンタウンの松本さんと放送作家の高須光聖さんがパーソナリティを務めていた「放送室」(TOKYO FM)というラジオ番組を聴いたことがきっかけです。放送作家という仕事は、学生のころからやっている人もいると知り、自分にもできるのでは、と思うようになりました。
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文=堤美佳子 取材・編集=田中友梨 撮影=小田駿一

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