サッカー日本代表・遠藤航 キャプテンとしての転機は19歳のときに

サッカー日本代表・遠藤航

「遠藤航」を確立させた2人の恩人

湘南のユース入りは、中学のサッカー部の顧問、大野武先生のおかげでした。大野先生が県のトレーニングセンターのコーチをしていた関係で、練習に参加させてもらったことがきっかけになりました。
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この大野先生との出会いは、僕の人生にとってすごく大きかった。サッカーに関しても、人としても、いい指導をしてもらえたと思っています。挨拶などのマナーも先生に指摘されながら身についていきました。やんちゃだった僕が、落ち着くことができたのも先生のおかげかもしれません。



ポジションチェンジを提案してくださったのも大野先生です。元々フォワードからスタートして、少しずつ後ろに下がってきていたのですが、中学2年の終わりに「センターバックをやってみないか」と言われました。
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湘南のユースで当時監督をしていた曹貴裁さん(現、京都サンガF.C.監督)にも、後にセンターバックとして評価してもらったので、もしそのときに断っていたら僕の人生は違っていたでしょう。自分では、けっこう得点もしていたのでフォワードがいいと思っていましたけど(笑)。

ベルマーレのトップチームに昇格し、高校3年生時に思い切ってJ1の試合に起用してくれた監督は、反町康治さん(現、日本サッカー協会技術委員長、Jリーグ理事)でした。とても感謝しています。

その後に監督に就任したのが曹さんでした。プロとしてのメンタリティやフィジカル、戦術的なことなど、すべてを教えてもらいました。熱くて、厳しくて、愛のある人です。

人間「遠藤 航」のベースをつくったのが大野先生なら、曹さんはプロサッカー選手としてのベースをつくってくれた人になります。

19歳でベルマーレのキャプテンになり、チームも自分もあまりうまくいっていなかった時期に曹さんからかけられた、「キャプテンだからといって責任を感じすぎるな」という言葉は、「自分のやるべきことにフォーカスして、その姿勢でチームを引っ張る」という、今のキャプテンとしてのスタイルをつくるきっかけになったように感じています。

ブランディングにつながる「デュエル王」

近年は、遠藤 航といえば「デュエル」と言っていただけるようになりました。

そのきっかけはシュトゥットガルトへの移籍でした。海外で守備的ミッドフィルダーとして評価されるために必要なことは常に考えていて、そのひとつが試合中にボールを奪われないこと、そして逆に相手からボールを奪う回数でした。ドイツでは、毎週リーグが公式サイトにさまざまなデータとランキングを発表していて、そのひとつにデュエルがありました。

たまたま試合後のニュースを見ているときに、そのランキングに自分の名前を見つけました。僕自身、多くの人にもっとサッカーのいろんな見方を提案したかったし、「守備的ミッドフィルダー」というポジションの魅力を伝えたいと思っていたので、このランキングで一番を目指すことはブランディングになるんじゃないかと考えました。

プレーとしてはいつもやっていることの積み重ねなので、試合中に意識することはないし、そんな余裕はありません。でも、ランキングを知ってからは毎試合、「よし、まだ一位だな」、「あれ、抜かれている!」とチェックしています(笑)
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文=尾田健太郎 編集=田中友梨 撮影=小田光二

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