私が尊敬するのは……
Apple 共同創業者 スティーブ・ジョブズさんです。
「弁護士をもっと身近に」という理念で2005年に開設した弁護士ドットコムだが、最初は厳しい運営を余儀なくされた。「一見さんお断り」という文化が根強かった弁護士の世界で、多方面から「絶対にうまくいくはずがない」と言われ、収益のめども立たず、登録弁護士数も思うように増えなかった。
そんな時、シンパシーを感じ、励まされてきたのがジョブズの「優秀な人は多いが、成功するか失敗するかの大きな違いは『粘り強さ』である」という言葉だ。「困っている人であれば誰しも弁護士とつながることのできる社会にしたい」という自分の心の素直な声や直感に従い、粘り強く続けていった結果、いまでは2.3万人の弁護士が登録するサービスにまで成長した。
この言葉は、長期的な視点で社会を変えるミッションに挑む際の心の支えであり、私の礎にもなったと思う。
元榮太一郎◎弁護士ドットコム 代表取締役社長。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。旧司法試験合格後、2001年にアンダーソン・毛利法律事務所に入所しM&Aやファイナンスを担当する。05年に独立し、弁護士ドットコムならびにAuthense法律事務所を創業。14年、弁護士初の東京証券取引所マザーズ市場上場。16年、参議院議員通常選挙に当選。20年に財務大臣政務官、21年に参議院文教科学委員長を歴任し、22年に任期満了をもって参議院議員を退任。
1994年1月──。当時、ソニーの広告宣伝本部長だった出井伸之は、A4サイズでわずか2枚のペーパーを社長、大賀典雄に手渡した。
「スーパーハイウェイ(NII)へのソニーの対応」と書かれたその紙には、前年、クリントン政権で副大統領を務めていたアル・ゴアが発表した、全米をインターネットでつなぐ「情報スーパーハイウエイ構想」がソニーに与える衝撃について記されていた。
そのなかで出井は、将来、ネットワークを利用した巨大企業の出現を予言もしている。その予言は後にグーグル、フェイスブックなどの登場が証明するものだった。
出井はアメリカ・西海岸に足しげく通っていた。本人曰く、社長に就任する(1995年)までに「けっこう時間があったから」だという。
“暇をもて余していた”出井は、決まってシリコンバレーに住む若き友人を訪ねていた。
その友人の名はスティーブ・ジョブズ。
出井よりも18歳も若い友人だったが、出井がソニーでコンピュータをやり始めた1983年頃からの知り合いだった。
ソニーを、中でも盛田昭夫を尊敬してやまなかったジョブズだが、1985年に自ら創業したAppleを追放され、NeXT Computerを設立。さらに、ルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を1986年に1000万ドルで買収して、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立した。
1994年ごろは、NeXTで開発に没頭しながら、ピクサーで映画製作に入れ込んでいた。出井には、ピクサーはともかく、ジョブズのNeXTは余りうまくいっているようには思えなかった。