フリードリヒ・エンゲルスに『家族・私有財産・国家の起源』飴玉や氷砂糖をしのばせていたからである。という有名な著作がある。民俗学者である私は「お金」というテーマを与えられて、この本になぞらえて、日本人にとっての「私有財産」が、どういったことやものにさかのぼりうるかといった話をしたいと思う。ただあらかじめ述べておくと、民俗学的に「私有財産」は、「ヘソクリ」と言い換えることができるものである。
ヘソクリは文字通り、へその緒でくくってしばったほどの金額を意味する。そして、それほどの少額だから、隠しておくための場所も非常に小さいこととなる。かつて日本の女性は、糸や針、化粧品など私有品を入れておく箱や籠をもっていたが、長野県北安曇地方では「ヘソクリ」にあたる語として「ツギバコガネ(継ぎ箱金)」と呼んだ。この「ツギ」は布の小切れのことで、これを裁縫用の小箱に蓄えたのだ。
また高知県幡多郡や長崎県の対馬では「ハリバコゼニ」(針箱銭)といい、そのほかに「オゴケ(苧桶)」など女の私物を入れておく器物でヘソクリを呼んでいた。ちなみに、ある人物が得意とする技芸をいう「オハコ」も、ほかの人にはないといった意味で、女性の私物の箱から来ている。
なによりも興味深いのは、「ヘソクリ」が日本の各地で「ワタクシ」と呼ばれていたことである。『綜合日本民俗語彙』(民俗学研究所編、1955年)では、「ワタクシ」とは女にとって許された最小限度の財産のことを指すものと定義されている。例えば和歌山県下では内緒のお金を「ワタクシ」といい、奈良県下では奉公人の休日までを「ワタクシ」といった。
また沖縄では「ワタクサー」、奄美群島の沖永良部島では「ワタグシ」と発音する。その内容は、女性が所有する金銭、不動産、牛、羊など、家長の管理外に保有されている財産をいうのである。
こうした女性が私財を隠しておくことには、他人に見られてはいけないというタブーを伴い、またこの箱は持ち主以外のものがさわってはいけないもの、だれも侵犯できないものと認識されていた。つまり女性の小箱には、霊的な力が備わっているという信仰があったと思われるのである。