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2023.08.07 12:00

日大アメフト部問題、スタンフォード大コーチが提案する「明日の理事長会見の台本」

Getty Images

(編集部注:本稿は8月4日に書かれたものである)

日大のアメリカンフットボール部の寮で乾燥大麻と覚醒剤が所持されていたとする問題が起きた。日大は公式ホームページで謝罪し、同部の無期限活動停止処分を発表した。また同大は8日午後3時から林真理子理事長、酒井健夫学長が出席し、記者会見を開くと発表している。

最初に結論を述べさせていただくが、連帯責任のような安易かつ当事者以外の努力や希望がゼロになってしまうような結論づけはどうか控えていただきたい。

理由は2つある。1つは、組織的な犯罪ではないことを前提として、成人であれば本人のみ、未成年であれば親と本人だけの責任であるという点だ。おそらく、90%程度の国民が大麻の臭いさえ知らない我が国では、寮に同居していたチームメイトが注意できるチャンスもなかったであろう。

もう1つは、このような件で、チームとしてもしくはその指導者が責任を取ってしまった場合、「そのように指導をしていました」ということと同じことになる。「問題→連帯責任→早期終結」のようなナンセンスきわまりない解決プロセスが常態化しているように思える日本のスポーツ界と、それを見てきた社会の人達はそれにさほど疑問を持たないのであろうが、たとえばアメリカのスポーツ界に身を置く私は、「そういう指導をしていたのか」という印象を受けてしまうのである。

薬物関連、メディアはとりわけ「運動部」に注目する?

ここ数年、日本で薬物に関連する犯罪が増えているようだ。特に大学生のような若者が関わるケースが増加している。世界での合法化の流れや安全・危険の議論は別の機会にするとして、この手の問題で社会やメディアで問題視されるのは「運動部だけである」と言っても過言ではない。サークルや文化部の類に属する、もしくは学校の中のなんの組織にも属さない学生のこの手の犯罪は大したニュースにならない。ニュースになっても学校名が出るか出ないか……ぐらいの扱いである。

たとえば「xx大学のxxゼミの生徒が大麻所持で逮捕された。ゼミは当面の間活動休止」などというニュースを聞いたことがあるだろうか? 少なくとも、私は聞いたことがない。同じ大学という場でも、スポーツ分野以外の文化部、サークル、ゼミなどに所属する学生の場合は(もし問題を起こしていても)おそらくニュースにはならないのだ。

しかし、我が国の社会では、「運動部」は負の特別扱いを受ける。

なぜ、ことが「スポーツ」というフォルダに入り、運動部、プロスポーツチームの構成員となっただけで、チーム全体が責任を負わなければならないのか? 1人の過ちが、他の50人、100人の日々の努力や希望をまさに無にしなければならないのか?

理由は、国民性や我が国の歴史に深く関わるので、想像を絶する根深さがあると筆者は考えている。独自の理論なので、アカデミックなバックアップ論文やエビデンスはないので悪しからず。

1. 日本のスポーツは「Sports」ではなく、「体育」の延長であるようにしか見えない。では、何の延長か?軍事教練である。そして軍事教練であれば、勝敗に関係ない上下関係が存在したり、独自かつ意味不明なルールが存在しても不思議はない。責任を取るべきも、「チーム全体」ということになる。

日本のスポーツ界では競技力やアスリート達そのものは進化しているのに、この文化は、昭和10年代から何一つ変わっていないように思えてならない。
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文=河田剛 編集=石井節子

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