ハワイで暮らすことにキラキラとしたイメージを持つ人は多い。
「そんなものは単なる理想で、地に足つけて“生活”を営むのとはまったく違うことでした」と話すのは、今年6月に家族でハワイ移住を実現した伊東浩邦さんだ。
伊東さんのハワイ移住のリアルに迫る本企画。
第二回は、就労ビザを取得するまでのストーリーお届けする。
「ハワイに来る目的は何か」突きつけられた現実
今年2月にフジヤマテキサスの佐藤公一氏とハワイで会い、チップ制度や、日本人とローカルの人の働き方の違い、そして生活環境などのアドバイスをもらい、佐藤氏と働きたい意志を伝えて帰国しました。3月には「ハワイに実際に来てみて、家族ともいろいろ話したと思うけど、何か気になることはあった?」と佐藤氏より連絡をもらいました。
「今まで娘にかける時間が少なかったので、ハワイでは娘中心の生活にしたいです」と伝えると「ビザは仕事のためのもの。目的がハワイで暮らすことで、フジヤマテキサスで毎日同じことだけやって定時で帰る。会社に自分たちの生活を保障してもらうような考えだったら働かせることはできない」と言われました。
そのとき、修学旅行気分の考えに気付かされたんです。慣れ親しんだ土地を離れて、異国の地で家族を養わなければいけない。今まで築き上げてきたものを捨てるということを建設的に考えられていませんでした。
「もちろん、ハワイ生活への憧れや理想もわかる。その目的を追うためにも、まずは会社への想いや貢献があってこそのビザです。そのことを家族で納得して共感してもらえるなら、ビザ発行の段取りを進めます」と佐藤氏に言われました。
厳しさの中にもハワイで働くことに対する情熱を感じました。私はすぐに電話をして、私の考えの甘さと無礼を謝罪しました。そして、家族でもう一度話し合い、ハワイでの仕事や生活、そして「蓮」(伊東さんが当時経営していたうどん店)を閉店させる覚悟を決めたのです。
ビザ取得へ動き出し、生活が一変した
忘れもしない3月15日、再び社長から雇用条件などを話してもらい、E-2ビザの申請を開始しました。これはビジネス目的でアメリカ国内のプロジェクトへ投資する人に発給されるものです。配偶者、21歳未満かつ未婚の子どもが同行者として認められています。
まずは、ビザ取得に必要な申請者氏名や電話番号など、約40個の情報を3日かけて記入。なかには飲酒運転を含む犯罪歴の有無までありました。
その後の事務的な作業は移民弁護士の先生にお願いし、私たちは「蓮」の閉店作業を含む身辺整理へと取り掛かりました。
店舗の解約のために不動産屋に行き、引き渡しは6月18日に決まりました。次に決めないといけないのは、「蓮」の最終営業日です。片付けのことを考え、5月31日を最終日とし、4月10日に閉店のアナウンスをしました。ここでもう後戻りはできないと強く思いました。
そんななか、4月7日に移民弁護士から連絡があり、妻と娘のビザ情報も求められたのでメールで送信。そして、4月17日に在大阪・神戸米国総領事館で面接をすることになりました。