大学卒業後はニューヨークを拠点に活動していたが、コロナ禍の2020年に帰国。現在は日本を拠点に、バイオリン演奏だけでなく、大学で教鞭を執ったりテレビに出演したりと活躍の幅を広げる。
29歳の彼女の原点と現在地、将来への想いを聞いた。
バイオリンを始めたきっかけは「リズム感」?
——音楽と勉強、両方を極めてこられた廣津留さん。子どものころはどんな生活を?バイオリンを始めたのは2歳の終わりです。私は“ハイハイ”を始めたのが早かったようで、それを見た両親が「リズム感がいいかも」とバイオリンを習わせてくれて。5歳でピアノも習いはじめました。
ほかにも、小学校にあがる前から英語やバレエも習っていました。特に英語は、母親が英語塾を主宰していることもあり、0歳から勉強し始めました。4歳で英検3級に合格しています。
小学校では、バイオリンとピアノのレッスンが毎日のルーティンになりました。大分から福岡まで習いに行ったり、コンクールに出たりと忙しい日々でした。
——当時、将来の夢はありましたか?
先日、小学5年生でコンクールに出た際の新聞記事を見返す機会があったのですが、私は将来の夢について「音楽を通した社会貢献がしたいです」と話していました。
当時から自分にとって音楽は「人に演奏を聴かせること」を目的とするものではなくて、あくまで“ツール”として活用して、社会に影響を与えていくためのもの、という認識だったんだと改めて思いました。その想いは今も変わらず持っています。
「バイオリニストになる」という具体的なイメージが強くあったというよりは、ずっと弾いていたいなというくらいに考えていましした。
なぜハーバード大学だったのか
——音楽のレッスンに励む傍らで、「妥協したくない」と勉強面でも努力を続けられ、高校は進学校の東大コースに進まれています。その後の進路についてはどのように考えていましたか。高校1年生の時にコンクールで優勝し、その特典で翌年に全米ツアーに参加しました。そのツアーの帰りに、ハーバード大学のキャンパスツアーに参加したんです。
そこで学生の方々とお話をする機会があったのですが、課外活動にも力をいれている人が多くて、ここだったら私も勉強とバイオリンを両立できそうだなと思いました。そこからは、レッスンの合間に英単語を覚え、小論文などの準備をする日々でした。
私はなかなかゴールを決められないのですが、一度決めたら達成するまでは迷わずやり切れる性格で、それが幸いしました。