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2023.07.31 11:00

「今のJINSは2005年当時のAppleに似ている」Apple出身のグローバル・チーフ・クリエイティブ・オフィサー就任で新たな成長軌道へ

世界で成長する強い企業には、優秀なクリエイティブ・ディレクターの存在が欠かせない。経営者やチームとともに、商品やブランドだけでなく、顧客体験や企業の未来までデザインしていく重要な存在だ。

JINSは6月1日、Appleの前クリエイティブ・ディレクターのポール・ニクソンをグローバル・チーフ・クリエイティブ・オフィサーに迎えた。スティーブ・ジョブズやティム・クックらと共に働き、Appleのプロダクトデザインや企業文化を醸成する役割を担ってきた人物だ。

ニクソンは「今のJINSは2005年当時のAppleに似ている」と語る。彼はJINSの何に惹かれたのか。そして彼が考えるJINSの成長ポテンシャルとは何か。また、JINS創業者でCEOである田中仁は何を目指し、ニクソンに何を期待するのか。JINSの大きな変化を予感させる二人の考える未来とは?


「ポールのノウハウや経験が、JINSの革新的な商品や新顧客体験、グローバルでの成長を永続的に実現させていくうえで大きな原動力となると確信しています。JINSの未来を一緒に創っていけることにワクワクしています」(田中)

 ポール・ニクソンは、米国アリゾナ州出身。インターネットが急速に普及しつつあった1996年にWeb&グラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートし、2005年にAppleに入社した。iPhoneやiPadのウェブサイトの構築ではインタラクティブアートディレクターのリーダーとして活躍。その後、apple.comのデザインクリエイティブディレクターを7年間務め、Appleのあらゆる製品ウェブサイトのコンセプトづくりから立ち上げまでを率いてきた。

また、マーケティング&コミュニケーション部門では、オンラインストア、リテール、ソーシャルコミュニケーションの各プロジェクトの指揮を執り、直近3年間はリード・ソフトウェア・デザイナーとしてApple Watchシリーズの多くの機能や特徴の開発、製品化を実現してきた。ニクソンが在籍した約18年間で、Appleの時価総額は03年の300億ドルから22年11月の退社時には2兆5000億ドルまでダイナミックな成長を遂げた。まさにAppleの躍進に大きな貢献を果たしてきた人物の一人だ。

そんなシリコンバレーのスターと田中の運命の糸が交わったのもシリコンバレーだった。だが、実はそれ以前に田中の地元・前橋ですでにその糸が紡がれていた。

ニクソンの友人で、シリコンバレーのロスアルトスで人気のカクテルバー「Amandine Project(アマディーン・プロジェクト)」のオーナーが、前橋の活動に共感して移住していたデザイナーの元を訪れたのは19年のこと。ニクソンも一緒に前橋を訪れ、田中が再生を手掛けていた前橋の白井屋ホテルのコンセプトや地域活動を聞き、「会ったことはなかったが、HITOSHI TANAKAに興味関心を抱いていた」(ニクソン)

4年後の23年4月、田中はデザイナーとともにシリコンバレーを訪れる。

「このとき見学したAppleのApple Park(本社オフィス)は素晴らしく、デザインに対する執念までも感じました。自分もデザインは好きですが、とにかく圧倒されました。感動しつつ『こういうデザインができる人がいないかなぁ』と冗談で言ったところ、Amandine Projectのオーナーが『Appleに18年勤めたクリエイティブ・ディレクターが昨年暮れに辞めて、今ちょうどフリーだ。数々のクールな企業からオファーを受けているけど、すべて断って子育てをしている』と友人のニクソンを紹介してくれました。ぜひ会ってみたいと、すぐにポールがご家族とディナーをしていたステーキハウスに押しかけ、紹介してもらいました」(田中)

「あなたが田中さんか。19年に前橋に行ったときから名前は知っていた」 

一緒に飲みながら、ニクソンはAppleでのキャリアを、田中はJINSや前橋の街づくりへの想いなどを語り合った。そのとき初めて会った感じがしないほど二人は意気投合。翌日は急きょJINSのビジネスミーティングにも参加してもらい、夜にはまた飲んで語らった。

 「話をしていくなかで、Appleは顧客とのタッチポイントに驚くほどエネルギーを注いでいることに気付きました。洗練されたデザインや店舗での体験だけでなく、iPhoneの箱の美しさや開けるときの高揚感にまで気を配っている」(田中)

一方JINSは商品もお店もお客さまとのすべてのタッチポイントに至るまではまだまだ洗練されておらず、改善しなければならないという課題もあった。しかしクリエイティブがわかるハイクオリティな人間がいないとそこは実現できない。

「Appleの中枢でクリエイティブを担ってきた彼が入ってくれたら、JINSは変わる。『これまでのJINSを刷新したい。ぜひ手伝ってほしい』と伝えました」(田中)

JINSは1988年にファッション雑貨業として創業。2001年にアイウエア事業に参入・シフトしてから23年目を迎えている。売上高は約700億円、世界で約700店舗(うち、海外約240店舗)を展開するに至っている。とくに、08年から19年の11年間で売上高を62億円から618億円に。約10倍の急成長は圧巻だった。

しかし、その後は収益が伸び悩み、コロナ禍も重なって業績が停滞気味であったことは否めない。

これまでの成功を超える新しい何かを生み出さなければいけない。そんな使命感がJINSの中に生まれていた。その姿勢のひとつが23年4月の本社移転だ。初心に返って次の成長を生み出すため、飯田橋のインテリジェントビルを退去し、神田にある古いビルをリノベーションして拠点を構えたばかりだ。

今回のニクソンのCCO就任は、JINSの新しい成長軌道に向けて田中や社員の心に“スイッチ”を入れる出来事になる。

 「今のJINSは2005年当時のAppleに似ている」ニクソンがJINS参画を決めた理由とは

有名企業からのオファーを含めて、引く手あまただったニクソンは、なぜJINSを選んだのか。決め手は、田中の人間性と、JINSの事業モデル、そしてグローバルで成長できる将来性だった。

「田中さんはとてもビジョナリーで革新的。地に足をつけながら、情熱をもってビジョンの達成を追求している素晴らしい人物です。JINS、白井屋ホテル、前橋の地域活動など、構想をどんどん具現化しています」(ニクソン)

そして、JINSが日本でいうところのSPA(製造小売業)型のビジネスモデルであることも、ポールがJINSに興味をもったポイントだった。

「製造から販売まで一貫して手掛け、世界にも進出している。その途中で誰にも左右されないということはとても大切なことです。逆に誰のせいにもできません。エキサイティングな将来は自分たちの手で作っていかなければならないということです」(ニクソン)

田中のマルチでパワフルな行動力とJINSの事業モデルを知れば知るほど、今のJINSは05年に入社した当時の大きな可能性を秘めたAppleに似ていると感じたという。

さらに、ニクソン自身がJINSの掲げる「マグニファイ・ライフ」を体感したことも、背中を押す大きな要素になった。JINSはシリコンバレーのサンノゼの商業施設、ウエストフィールド・バレーフェア内にも店舗を構えている。日本同様、メガネを自由に試着でき、レンズはストックされていて、検眼したら最短30分でできあがる。

「店は美しく、素材もレンズもフレームも良い。『What!?』『Wow!』『So Good!』の連続でした。私自身、老眼が進んでいたのですが、スマホやApple Watchの文字や時計も、はっきりくっきり見えるようになりました」(ニクソン)

まさに「マグニファイ・ライフ」な経験をする中で、多くの人の生活を豊かにする可能性の大きさにも魅力を感じた。

Appleを辞めてから約5カ月。次に自分の経験と情熱を注ぎこむべき場所はどこなのか。期限を決めずにゆっくりと考えて過ごしていたニクソン。だが田中と語り合った2日間で一瞬にして心が決まったという。

「JINSのこれから20年間のビジネスを一緒につくっていきたいという思いを聞き、何の迷いもなく、ここだ、と思いましたね。これまでの経験や情熱を、今度はJINSにたっぷり注ぎ込みたいと思っています」(ニクソン)

商品・コミュニケ―ション・顧客体験を磨き上げ、「良質な顧客体験を創造したい」

いま、田中が目指しているのは、「JINSをエキサイティングなグロース(成長)ができる会社にすること」だ。

では、JINSの改革にはどこから手を付けるのか? 田中いわく、「全部です。全部変えなきゃいけない。とくに注力すべきは、『商品』『コミュニケーション』『カスタマージャーニー』が中心になります」。

ニクソンも「ここがエキサイティングなJINSの将来を作るための3本柱。Appleに18年いたので、デジタル分野にももちろん注力します」と応じる。

現在ニクソンは日本のJINSのすべてを理解するべく奔走しているが、なかでもあらゆるタッチポイントで良質な顧客体験を提供することに重きをおいていきたいと語る

「お客様は自ずと、『自分たちのことを本当に考えてくれているのか』『人生を良くしてくれるような商品やサービスを提供し、それを共有したいと思っている愛のある会社であるか』『自分たちの仕事に誇りをもった企業・ブランド・商品であるか』を感じるものです。これはとても重要で、軽視してしまうと配慮や思い入れがないズルイ会社だと感じさせてしまいます。そして、スタッフには『自分は素晴らしい仕事をしているのだ』と誇りをもって働いてもらうことがとても大切です」(ニクソン)

また、働き方においてもニクソンにはAppleで学んだ2つの原理原則(プリンシプル)があるという。

「1つは、誠実に仕事と向き合うこと。私自身、時間を忘れて仕事に没頭するようなこともこれまでよくありました。それだけ集中して仕事をするには、情熱があり、好きでなければできません。もう1つは仕事を通じて人と会社の成長を促すことです。ティム・クック(CEO)、ジェフ・ウィリアムス(COO)やフィル・シラーらとの仕事を通じて学んだことは、情熱を持って仕事をすれば自信を持てるようになるということ。自信ができれば、誰とでも話ができ、デザイナーやクリエイターにインスピレーションを与えながら、円滑に仕事ができるようになります。この原理原則は、どの事業でもどの企業でも変わらず役立つものです」(ニクソン)。

仕事が好きで、情熱を傾けて働く人々の集団と、そのカルチャーを醸成していくため、「毎日仕事に来るのが楽しみで仕方がないという人を採用したい」と田中が考える採用の人材像も明快だ。
 世界で最も革新的なテクノロジー企業で優秀な経営陣やスタッフと働いてきたニクソンの経験は、JINSの成長や企業価値創造に大きな影響を与えるのは間違いない。

「JINSをAppleにしたいのではありません。JINSの成長のためにこれまでにない新しい挑戦に取り組みたい」とJINSの現状にも最大の敬意を払うニクソンの物腰の柔らかい姿勢は、押しの強いグローバル企業幹部のイメージとは一線を画す。

実は田中が前橋の街の再生に時間を割いたことでJINSの成長が滞ったという声があり、前橋への貢献とJINS事業の両立についての悩みをニクソンに洩らしたことがある。

『心からやりたいことに情熱を注いできたことは素晴らしいし、価値になっているなら続けるべきだ』『スティーブ・ジョブズもAppleとピクサーのCEOをどちらも高いレベルで遂行していた。田中さんもマルチタスクの才能がある。それを進化させていけばいい』。ニクソンは田中のやり方を全面的に肯定したという。

「この言葉にとても勇気づけられました。実際、ポールに出会えたのも前橋での活動があってのことでしたから、間違ってはいなかったのだと」(田中)

直近のJINS の社内勉強会「Magnify Life Session」に招いたのは、協業先でもあるスノーピークの山井太会長兼社長だった。テーマは「顧客起点(ユーザー主義)の経営」だ。

「スノーピークでは本当にキャンプが好きなキャンパーしか採用しないとおっしゃっていました。自分の責任なのですが、JINSはそのフィルターが比較的甘く、上場企業だからという理由で入社した人も少なくありません。そこも含めて、JINSは変わります。Appleはかつて、仕事をするのが楽しくて楽しくて仕方ないという人々が集まっていたとポールに聞きました。強制ではなく、この会社で働くことが楽しくて仕方がないという人が集まる会社・組織にしたいですね。世界で最も革新的なテクノロジー企業で優秀な経営陣やスタッフと働いてきた経験も、今後のJINSの成長や企業価値創造に大きく寄与してくれるはずですし、社長が本気になればいい人材が集まるはずです。JINSのエキサイティング・グロースを期待してください」(田中)


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田中仁◎ジンズホールディングス代表取締役CEO/一般財団法人田中仁財団代表理事
1963年群馬県生まれ。88年有限会社ジェイアイエヌ(現:株式会社ジンズホールディングス)を設立し、2001年アイウエア事業「JINS」を開始。13年東京証券取引所第一部に上場(22年4月から東京証券取引所プライム市場)。14年、群馬県の地域活性化支援のため「田中仁財団」を設立し、起業家支援プロジェクト「群馬イノベーションアワード」「群馬イノベーションスクール」を開始。現在は前橋市中心街の活性化にも携わる。

ポール・ニクソン
◎JINSホールディングス グローバル・チーフ・クリエイティブ・オフィサー
カリフォルニア州クパチーノにあるApple社で約18年間、デザイン、マーケティング、クリエイティブディレクションの要職を歴任した後、2023年6月にJINSに入社。2005年春から2023年秋までApple社でキャリアを積む。うち7年間はapple.comの全製品を立ち上げるデザインクリエイティブディレクターを務め、その他にもインタラクティブデザインとマーケティングの主要分野を担当。また、Apple社の世界的に有名なプロダクトデザイングループに3年間在籍し、Apple Watchソフトウェアデザインチームのリードデザイナーとして活躍。

Apple社以前のニクソンのキャリアは、1996年にWorld Wide Webが誕生したころに遡る。1990年代後半には、スタートアップ2社でグラフィックおよびインタラクティブリードデザイナーとして活躍。2000年代前半は、高等教育分野のデザインに力を入れ、Apple社に入社する以前は、アリゾナ大学でグラフィックとインタラクティブのリードデザイナーを務める。ニクソンは、北カリフォルニアのシリコンバレーを拠点に、米国の主要市場を含むJINSのグローバルな成長のリードを担当する予定。

Promoted by ジンズホールディングス / text by Kumi Matsushita / photo by TagawaTomohiko / edit by Masako Kihara