正本:当時の自動車の販売形態はドアツードアの訪問販売が中心でしたが、オートラマは店舗を魅力的にしたり付加価値販売をしたりしてお客様に来ていただくことで、販売形態の効率の悪さの改善に取り組んでいました。
当時最先端のアメリカのコンサルタントを入れていて、来店前のアプローチから、来店中、来店後まで、コミュニケーションしながら気持ちよく車をお買い上げいただくプロセスが徹底的にできているわけです。それはすごく新鮮でしたし、そういう経験を早いタイミングでできたことはよかったと思います。
中道:そこからフォードジャパンのリージョナルチームに入るわけですけど、これはマツダとフォードの関係からですか。
正本:オートラマはマツダの販売チャネルのひとつで、マツダで開発しフォードでデザインをしたオートラマ専属モデルのフェスティバという車を販売していました。これがキャンバストップの可愛らしいコンパクトカーで、若い女性を中心にブレークしたのです。
ところが、それが北米のフォードの意見をもとにモデルチェンジして、初代フェスティバとはまったく違うクーペのような形になってしまいました。これが日本では大失敗で、ビジネスが厳しくなり初めてフォードとマツダが資本注入して、オートラマは両社の子会社になります。
その後、日本のフォードビジネスから撤退し100%フォードの子会社のフォードジャパンリミテッドになります。ですから転職はしていないのですが、3回ぐらい社名が変わり、外資系になっていったのです。
中道:100%フォードの子会社になって大変だったことはありますか。
正本:1998年にヨーロッパフォードがつくっているコンパクトカーを翌年日本に導入することになり、日本向けに改良することになりました。そこでフォードから日本のマーケットに詳しい人間を一人送り込んでほしいという話があって。即座に「行きたい」と手を挙げました。
そしたら手を挙げたのが私だけで、「どうぞ、どうぞ」ということでロンドン郊外にあるフォードの開発拠点に駐在することになるのですが、その後えらい目に合いました。
というのも、日本向けのプロジェクトってなかなかうまくいかないんです。なぜかというと、日本の場合、ナビゲーションシステムにしてもETCシステムやVICSにしても、全てユニークなのです。
海外のメーカーも日本のお客さまが求めるレベルを担保しない限り、お客さまの満足度は上がりません。しかし日本向けにするにはコストも手間もかかります。しかも台当たりの収益は他国よりも少ない。だから上層部はきっかけさえあれば日本向けは潰そうとするわけです。
自分は日本の代表として来ているものの、正直、ちょっとしゃべれると思っていた英語も全然ダメで。それでも現地のエンジニアが親身に面倒を見てくれるなか、この状況を日本に報告する地獄のような日々。もしプロジェクトがキャンセルされるようなことになればえらいことですから、生きた心地がしませんでした。