ダークエネルギー、ダークマター、通常の物質、ニュートリノ、放射線から構成されている現在の宇宙から時計の針を逆にまわしてみよう。そうすれば、宇宙は飛躍的に膨張する期間に移行しつつあり、物体間の距離が際限なく広がっていることがわかるだろう。しかし、初期の宇宙はほぼ物質、その後は放射線が大きな割合を占めていて、それぞれちがう速さで変化していた。そのため、こう問うこともできる。ビッグバンの発生からどれくらい時間が経過しているかがわかれば、観測可能な宇宙の大きさを導き出すことができるのだろうか?
最初に述べたように、指標はいくつかある。現在はビッグバンから138億年経過していて、どの方向を見ても宇宙の半径は461億光年である。ここから時を戻してみよう。
・物質(通常の物質、ダークマター、および両者の混合物)が放射線をおさえて宇宙の大半を占めていたのは1万年ほど前までで、当時の半径は1千万光年だった
・誕生から3年後の宇宙は直径がまだわずか10万光年で、現在の銀河系とほぼ同じ大きさだった
・誕生から1年後までさかのぼると、宇宙は現在の銀河系より小さかっただけでなく、信じられないくらい熱かった。その温度は約20億度で、核融合が可能なほど高温だった
・誕生の1秒後は、重原子核が生成されてもエネルギーの衝突によってすぐに爆発してしまい、核融合すらできないほど高温だった。この頃の直径はまだ10光年ほどで、現在の地球からもっとも近い9つの天体系までの大きさしかなかった
・さらに誕生から1/1012秒(1兆分の1秒)までさかのぼると、宇宙の大きさは太陽をまわる地球の軌道(太陽と地球の距離の平均)に相当する1天文単位ほどで、膨張率は現在の実に1029倍だった
とはいえ、どこまでさかのぼれるかにはやはり限界があり、最高温度に到達した時点までさかのぼるのはむずかしい。
初期の宇宙で温度が際限なく高くなるとすれば、重力波のエネルギースペクトルが観察できるはずだ。LIGO(米国レーザー干渉型重力波天文台)のような高度な観測設備がなくてもマイクロ波背景放射の偏光を示す信号におのずと記録される。限界を厳しく設定すればするほど——言い換えるなら、初期の宇宙の重力波を検知せず、むしろその存在を厳しく制限すればするほど、“もっとも熱い場所”の温度は低くなる。
15年前は、エネルギーと等価の温度を4 × 1016 GeV程度までしか制限できなかったが、その後のめざましい測定技術の発達により、その値は大幅に低下した。現在では、ビッグバンの“もっとも熱い場所”でも最高温度はエネルギーに換算すると1015 GeV程度であり、さかのぼって推測できる限界は時間にして高温のビッグバンの発生から10-35秒、距離でいうと1.5メートルまでということがわかっている。大きさを特定できるもっとも初期の段階の宇宙は、人間と同じくらいの大きさだったということになる。10年前までは“サッカーボールよりは大きい”と言われていたが、最近になって10分の1にまで精度が向上したことを考えると画期的な進歩といえるだろう。
(ただし、実際はもっと大きく、たとえば大都市の一部か小さな都市くらいの大きさだった可能性は依然としてある。大型ハドロン衝突型加速器では最大で104 GeVまでしか実現できないが、初期の宇宙がもっと高温に達していたことはまちがいない。いずれにせよ、多くの場合、“大きさの上限”の制約は変わりうる)
宇宙は最高温度かつ最大密度の特異点で生まれ、そこを出発点としてあらゆる空間と時間が発生したという考えがいかに魅力的だとしても、その推測に信頼性はなく、観測結果とも符合しない。その説が否定されないかぎり、どこまでさかのぼれるかには限界があり、観測可能な初期の宇宙の大きさとその宇宙に存在するあらゆる物質とエネルギーは十代の人間よりは大きかったと考えるのが妥当だ。それより小さかったとすれば、ビッグバンの残光に見られるゆらぎは存在しないことになってしまう。
高温のビッグバンが起きる以前の宇宙はコズミックインフレーションに固有のエネルギーが大部分を占めていた。インフレーションがどのくらい続いたのか、そもそも何がインフレーションを引き起こしたかはいまだ謎だが、その性質上、インフレーションはそれ以前の宇宙のあらゆる情報を消し去り、観測できるのはインフレーションの最後の数十分の1秒に記録された信号のみだ。その信号はバグにすぎず、インフレーションの仕組みとは別の説明が必要だと考える人もいる。一方で、その信号は既知のことだけでなく、今後知りうることに対しても根本的な限界を示す特徴だと考える人もいる。宇宙がみずからについて語る声に耳を傾けることは、いろいろな意味でこれ以上ないほど謙虚な経験といえる。