メニューには次のように説明されている。
<チャプスイの起源は諸説あり、料理法も使う食材も地域や店により微妙に異なりますが、アメリカに渡った広東料理が現地風にアレンジされポピュラーになったものと言われています。これを当店では、豊富な具材に野菜の旨みをたっぷり含んだブイヨンベースの洋食として昭和36年の東京文化会館開館時からご提供しております>
このメニューにはチャプスイの広東語として「雑砕(ごった煮というような意味)」という言葉が当てられている。もともと中国由来で現地化したアメリカ中華が日本に持ち込まれた後、洋食に生まれ変わって、60年以上前から提供されていたというわけだ。
チャプスイの歴史が理解できる本
同じチャプスイという料理でも、これほど店によって違うのはなぜなのか。具材は似ているのに、塩、醤油、ケチャップ、ブイヨンとそれぞれ違う調味料で味つけされていたこともそうだが、なぜチャプスイを提供しているのか、その理由や背景も気になるところだ。実は、このチャプスイ店訪問の話を、筆者が主宰する「東京ディープチャイナ」のSNSに投稿したところ、横須賀出身の方から「子供の頃、給食でよく食べた」というコメントをいただいた。
また、名古屋や沖縄出身の方も同じような経験があるそうで、特に沖縄では普通に街場のレストランで提供されていることも聞いた。どうやら米軍キャンプとの関係がありそうだ。
ちなみに筆者が初めてチャプスイという言葉を知ったのは、高校時代の愛読書だった昭和の人気小説家、谷譲次こと長谷川海太郎の自伝小説でもある「テキサス無宿」(1929年)の一節でだ。
書き出しから、<亜米利加の街を歩いていると、いたるところにこの『CHOP SUEY』という看板が眼につく>というように「CHOP SUEY(チャプスイ)」という言葉が登場し、当時のアメリカ社会におけるチャプスイ現象とでもいうべき奇妙な流行ぶりをユーモアたっぷりに紹介している。
昭和のモダニズム文学のパイオニア雑誌「新青年」の初期の常連執筆者だった長谷川海太郎は1900年生まれ。18歳のときに単身で渡米し、現地の大学を卒業後、ホテルのポーターやコックなどをしながら各地を放浪。7年後に帰国すると、滞米生活の見聞や体験をもとにした「めりけんじゃっぷ」シリーズを寄稿していく。
彼の作品は、1910年代から20年代前半のアメリカ社会の底辺を這いずり回りながら獲得した鋭い観察眼によるリズミカルで痛快な筆致とともに、いささか饒舌の極みと果てのないナンセンスな冗談にあふれている。「テキサス無宿」の記述から、彼の滞在期がちょうどアメリカのチャプスイ全盛期だったことがわかるのだ。
この20世紀前半にアメリカでチャプスイが流行していたというエピソードもそうだが、これまで訪ねた東京都内の4つのチャプスイ提供店での見聞から生じた疑問の数々をほとんど解決してくれたのは、岩間一弘慶應大学教授の「中国料理の世界史~美食のナショナリズムを超えて」(慶應義塾大学出版会、2021年)という本である。
この本はチャプスイに関する歴史的な記述が豊富で、とてもすべてを紹介できないが、今回訪ねた4つのチャプスイ提供店に関連する話だけ触れておこう。