しかし、きわめて難解にしてあまりにも長大なこの論文をめぐって、世界の数学界には予想外の大きな「混沌」が生じた。現在では議論も膠着状態となっている。
そんな中、6月6日に設立(設置構想中)が発表されたZEN大学の研究機関、「宇宙際幾何学センター(Inter-Universal Geometry Center; IUGC(仮称)、所長 加藤文元氏)」は、この理論とその関連分野における新しい重要な発展を含む最優秀論文に、「IUT Innovator Prize」として毎年賞金2万ドル〜10万ドルを贈呈することを発表した。
またドワンゴ創業者 川上量生氏は、IUT理論の本質的な欠陥を示した論文を執筆した最初の数学者に別途個人として「IUT Challenger Prize」100万ドルを贈呈すると表明した。
以上の発表は7月7日、都内の外国人記者クラブで行われ、加藤文元氏(東京工業大学名誉教授)、イヴァン・フェセンコ氏(IUGC副所長, University of Warwick, Tsinghua University)、そして川上量生氏が出席した。以下、会見での実際のコメントから紹介する。
関連記事:物議の数学理論、欠陥発見に賞金1.4億円 ドワンゴ川上氏
ドワンゴ創業者 川上量生氏
IUT理論に、本来の「数学の世界らしい」議論を
私は個人的に数学を勉強していますが、数学をやっている人は、一般社会の人とは大きな違いがあることに驚きます。
たとえば「岸田政権っていいと思いますか?」と聞くと、ほとんどの数学研究者はかたまってしまう。興味がないのか?と思えば、「そうではなく、そもそも問題がわからない。どういった価値判断で、どういった前提条件の上で聞かれているかわからないから答えられない」と言うのです。
このように前提条件をいちいち聞かれるので、会話を進めるのがなかなか難しい(笑)。数学者というのは本当に、論理を大切に考える人たちだ、といつも思います。
また、広くアカデミアでも、質問するときに自分の所属身分を名乗らないのは数学の学会だけ、と聞きます。なぜなら、「誰が聞いているのかは関係ない、真実はひとつだから」ということのようです。
そういった独特の価値観を持っている人たちが形成しているのが数学の世界であると私はずっと感じていました。
IUT理論に関してだけ「僕たちの社会と同じ」
それが、IUT理論に関する話を聞いているときだけは違う。まるでぼくたちの一般社会と同じじゃないか? と感じるのです。
つまり、通常の数学的文法、つまり何が正しいかではなく「○○氏が疑義を表明しているので、おそらく正しくないんじゃないか」といった「憶測」で判断されている印象があるのです。しかも、当の論文があまりにも長大なので、誰も理解しないまま話が進んでいる。
つまりは、僕が知っている一般社会、数学以外の世界では非常によく見かけることが、「IUT理論に関してだけ」数学界でも起きている、そのことに本当に驚いたんです。
その理由として、IUT理論が、人間として立ち向かうことが困難なレベルのボリュームの問題になっているからもあるのではないか、と考えるに至りました。そして、この理論の「大きさ」に立ち向かうことに対するリワード(報酬)がまったくないことに気づきました。
そこで今回、「IUGCイノベータープライズ」のほかに、完全な個人的なアワードとして「IUGCチャレンジャープライズ」を設けることにしました。「報酬」によって、この状況をいくばくかでも打破できるのではと考えたのです。
ここにおられるフェセンコ先生も、この論文の査読、理解に2年ほどかかったといいます。でも、それに対する見返りが「理解できた」だけだと、さすがに数学の専門家、研究者でもためらいが生じるのではないでしょうか。
せめてチャレンジャー賞で、ささやかな金銭的な報酬を示したい。そのことで、この理論に関する本来の「数学の世界らしい議論」が少しでも行われ、今の異常な混乱が是正されることに貢献できるのではと思ったのです。
また、なぜIUGC賞ではなく個人的な賞としたか、その理由についてですが、もともと「論文は受理されているのに混沌状態」という状況自体、数学世界では異常なことです。そこへさらに、「受理された論文の間違いを指摘した人に賞金を」というのは、数学の世界の流儀に反する、つまり、IUGCという研究母体で行うにはふさわしくない、と考えたためです。
また、受賞の条件を「決定的な欠陥を発見した人に」とは発表しましたが、「とにかく議論の決着にもっとも貢献した人に贈りたい」が主旨ですので、肯定的に決着に寄与した人に授与する可能性ももちろんあります。
──ベンチャービジネスをやってきた1人としての勘で言いますと、「もっともやっている人たち」、「中心にいる人たち」の熱意や確信には可能性がある、そこに大きな期待がありますね。
IUGC所長・東京工業大学名誉教授 加藤文元氏
来年開催のIUGC研究集会(仮名)、オーガーナイザーとして望月新一教授
「宇宙際タイヒミューラー理論」に関する現状について、少しお話ししておきます。
2018年、この理論に批判的なドイツの数学者2名、数論幾何学が専門の数学者、ペーター・ショルツェと、 数論的代数幾何学が専門のヤコブ・スティックスが来日し、数理解析研究所で、望月新一教授、星裕一郎准教授両名と1週間程度のディスカッションをしました。結果、両サイドから議論の報告書が提出されましたが、中でショルツェ氏、スティックス氏による12ページの報告書には、望月氏の第3論文の「ある箇所」に深刻な疑義があることが概略的に示されています。
望月氏も反論はしているほか、この後、該当箇所および周辺を大幅に拡充、理論の論理構造に関する大解説論文も執筆しました。しかし、「報告書」というかたちの議論はそもそも非公式なものですし、両者の議論はここで止まっています。
このような両サイドの議論の内容も加味した上で、宇宙際タイヒミューラー理論の712ページにわたる論文は受理されたわけですが、依然、欧米では高い評価を得ているとはいえません。
このように理解が進まない状況はなぜ生まれたか? それは、論文発表から10年たっても、IUT理論に関する本格的なコミュニティーが京大数理研以外にできていないことも原因のひとつでしょう。いずれにせよ、これまでの数学史を見てもこれは、「異常な状態」というほかありません。
研究者たちにとってもIUT理論は技術的なハードルが高く、コアなところに入っていけない。理解する人たちの層が形成されない、数学者のオーディエンス、ジェネラル・パブリックが育っていない、数学者たちも「あきらめている」という状況があることも事実です。
なお、IUGCは川上氏個人のファンディングにより設立された組織で、IUT理論に興味を持つ若い研究者が安心してIUT研究に参入できる環境作りを行うことが目的です。来年4月に開催予定のIUGC研究集会(仮名)のオーガナイザーは、望月新一教授、星裕一郎准教授、私加藤の3名です。
IUGC副所長、University of Warwick, Tsinghua University イヴァン・フェセンコ氏
「専門家としてまずは議論を」
(上のペーター・ショルツェ氏、ヤコブ・スティックス氏両氏についての所感を問われて)
IUGCとしてではなくあくまでも「1人の研究者」としてお答えします。彼らがIUT理論が間違えているかどうかを「議論する」ことさえせずに5年もの時間が経過したことは、数学界のみならず、より広い世界全体においてよくない影響を及ぼした可能性はある、とくに若い研究者にとってそうであると、私は思います。ですからご両名には、専門家としてぜひ、他の専門家たちとIUT理論について議論してほしい、そう思います。