「来日してしばらく私はインド中華をつくることができませんでした。私が勤めた店のオーナーは、インド中華のことを知らず、カレーのようなインド料理だけをつくればいいというのです。とても残念で、いつか自分の店を持ったとき、インド中華を提供したいと思っていたのです」(カジさん)
それを実現した彼は「インド中華は鉄鍋を振らなければつくれないので、腕を痛めてしまうことがある」とも言う。
都内でもう1軒、インド中華が通常メニューに入っている店が西葛西の「ムンバイ・キッチン」だ。オーナーシェフのバサント・ズベディさんはネパール人だが、インドのムンバイで18年間調理人として働いていた人物である。
メニューをみると、ここでも「シュエズワン」と「マンチュリアン」の料理に分かれていた。
メニューに「中華風のスパイシーな野菜チャーハン」と説明されていた「野菜シュエズワン炒飯」を頼んだところ、チリが利いてかなりの辛さだった。
同じく「ソヤソース風自家製チーズの中華風ソテー」とある「パニール・マンチュリアン」は、そこまで辛くはなかったが、確かに「シュエズワン」とは違うスパイシーな味わいで、個人的には気に入った。
前出の小林さんはインド中華の多様性について、こんな説明をしてくれた。
「コルカタに流入してきた華僑のうち、初期の頃から料理店を営んでいたのはおそらく客家や広東系の人たちでした。その後、1962年の中印紛争を境に、インド国内ではそれ以外の中華系(山東、湖北)の人たちがそれまで携わっていた皮革産業への不当な弾圧によって仕事を失い、彼らも飲食業に参入したという経緯があります。
インド中華のうち、インド人に伝わり、インド化したものがそのように呼ばれていますが、それは日本でいうところの『日本化した中華料理=町中華』と同様のカテゴリーといえます。つまり『町インド中華』ということです」
ちなみに、「ムンバイ・キッチン」のズベディさんと「マハラニ」のカジさんは、来日後、一時期同じ店で働いていたという。
「ズベディさんはムンバイで、カジさんはベンガルでインド中華を習得しましたが、同じ店で働いたことで、互いに技術のやり取りがあったかもしれません。こうしたことがあるので、一概に出身地やインド国内の勤務地だけで味つけを判断するのは難しい場合もあります」(小林さん)
小林さんが語る「町インド中華」は、中国由来の料理がそれぞれの国や土地で現地化し、国民食になったという意味で、近頃日本の若い女性に人気の韓国中華 や東南アジア各国の中華料理、北米で広まったアメリカ中華などとも共通している。
それは筆者が「海外現地化系」と呼んでいる日本の「ガチ中華」のジャンルの1つでもある。次回は、今回触れなかったインド中華の料理の1つ「アメリカン・チャプスイ」について紹介したい。