ストックホルムのガジェット少年
ストックホルムで育ったペイの両親は、アルツハイマーの研究を行うために北京からスウェーデンに移り住んだ中国人の博士カップルだった。ガジェットオタクの彼は、11歳のときに初代iPodを手に入れ、その数年後には、初代iPhoneをスウェーデンの通信システムで使えるようにするためにジェイルブレイクしていた。ペイは、高校時代には音楽やビデオゲーム、日本のアニメなどを扱うオンラインサイトを立ち上げ、MP3プレイヤーメーカーMeizuのファンページも開設した。2008年にはストックホルム商科大学に入学したが、卒業はしていない。
彼は大学1年のときに、かつてMP3を製造し現在はスマートフォン市場に参入しているMeizuから、香港オフィスでのマーケティングの仕事をオファーされたのだ。ペイはその後、別のハードウェア企業であるOPPOに移り、ピート・ラウとともにOnePlusを立ち上げた。同社は、初期段階では中国の若者市場に注力していたが、やがて売上の3分の2を海外が占めるようになった。
ペイは2020年の30歳の誕生日にOnePlusを退社し、半年間の休暇を取る予定だった。しかし、南イタリアに10日間滞在すると休暇に飽きてしまい、ストックホルムに戻り、スウェーデンの起業家コミュニティから700万ドルを調達してNothingを立ち上げた。
ハードウェア業界での10年の経験にもかかわらず、ゼロからのスタートには課題があった。Nothingの事業の立ち上げは、パンデミックの最中だったため、工場のキャパシティやパーツが不足していた。スマホの製造工場は、無名の新規ブランドの製造を引き受けることに消極的だった。
ペイは、ようやく見つかった工場の隣に、15人のエンジニアを送り込み、週に7日間工程を監督して製造を開始したという。そんな努力の甲斐あってNothingはこれまで150万台以上の携帯電話とイヤホンを出荷している。彼らの急成長と市場での確立された存在感は、今ではこの業界で一流の工場を味方につけてる。
「我々が目指すのは2023年のアップルではない。1980年代の(古き良き時代の)アップルだ」とペイは語った。
(forbes.com 原文)