これは本来、経営者が思ってはいけないこととされている。なぜなら、経営者の行動には常に責任が伴うからだ。従業員やその家族、取引先など多くのステークホルダーに対する責務がある。特に2代目、3代目の社長は、紡いできた歴史もあるからこそ正しい選択をしなければいけないと緊張感を保ち続ける人が多い。
だが、自分が進まなければいけないと思っていた道、敷かれたレールを外れるのは悪いことではない。そのための選択肢の一つが「M&A」である。
自身の置かれた「環境」と胸の内の「本心」に向き合い、M&Aを決断された経営者のケースを振り返ってみたい。
のしかかった無言のプレッシャー
東海地方のある男性は、金属加工業を営む家の3代目として生まれた。学生時代は家業を継ぐ考えはなく、有名大学に進学して学業に励んだ。しかし、周りに期待され、実家の後継者として入社した。当時はバブル経済後の落ち込みが激しく、会社をなんとか立ち直らせようと必死に働いた。昼夜を問わず、土日も関係なかった。仕事に没頭しすぎてタバコも買いに行くことすらできず、いつしか禁煙してしまっていた。現場の工程を一から見直し、高品質の製品を効率よく生み出せる仕組みを確立。期待に応え、入社してから約10年後に取締役に就任し、安定した利益を出し続けた。
いい仕事をしたら顧客から選ばれる。単純だが難しいその積み重ねで、営業をしなくとも顧客の行列ができた。業務がパンクするほど注文は受けられないからとホームページから電話番号を削除するほどだった。
自らを突き動かしていたのは、祖父の代から続く会社を守る使命感。自分にも、部下にも厳しくして業務に取り組んでいること自体には誇りがあった。ただ、それが本当にやりたいことかどうかに思いを巡らすと、疑問符がついた。「いったいこれは、誰の人生なのだろうか」。心の余裕も少なくなり、絶え間なく走り続けることに限界を感じるまでになった。
「ある一言」で心が晴れた
「儲かっている」「いい会社を継いだ」「すごい」と周囲から羨望のまなざしを向けられるまでに会社を成長させ、業績に目を付けた大手のM&A仲介会社から譲受側(買収側)になるよう提案も受けた。しかし、関心が沸かなかった。むしろ、心がいっそう離れていく自分がいた。悶々とした日々を過ごす中、何気ない一言が心に刺さった。「これだけ儲かっているなら、(会社を)売ってもいいのでは」。目に見えぬ責任感にとらわれて、M&Aは自分とは関係ないと思っていた。売る発想はみじんもなかったが、「俺も売っていいんだ」と心が晴れた。