最近のロシアでは、政治が絡んだ出来事の真偽を見極めることはほぼ不可能だ。プーチン大統領が数十年にわたって展開してきた偽情報戦争の影響である。英ジャーナリストのピーター・ポメランツェフの著書名を借りて言えば、ロシアでは「真実は存在せず、何でも起こり得る」のだ。
一見すると、われわれが目撃したこと、すなわちワグネルの決起とモスクワへ向けたスムーズな進軍が、プリゴジンのベラルーシでの隠居という取引で幕を下ろすというのは、非常にありえないことのように思われる。これほど混沌とした一連の出来事が、予定調和の芝居だったとは考えにくい。
いったい何が目的だったのだろうか? 何が達成されたのか? それについては後ほど触れるとして、もし今回の騒動が歌舞伎のように様式化されたショッキングな一芝居だったとしても、ロシア史においては帝政時代から先例があり、何ら目新しいことではないという事実を念頭に置いておいてほしい。19世紀のロシア人作家レールモントフは、カフカス地方を舞台にした古典小説『現代の英雄』で、権力者が意図的に現実を覆い隠し、支配の道具としてパラノイアをまん延させる様子を余すところなく描いている。
そしてスターリンもまた、自らの権力を脅かす人物を見極めるために、小規模な反乱の発生を許容した。スターリンは、何の説明もなく何週間も雲隠れし、機に乗じて権力を奪取しようとする者が現れるや、容赦なく淘汰した。一方、プーチンのやり方は少し違う。治安関係者からなる側近であるシロビキの内部抗争と駆け引きを常に奨励し、審判役を務めてきた。
プーチンは、一方を利用して、他方をけん制するのだ。それを知らなければ、プリゴジンが何カ月も前から権力にとって耳の痛い真実を公然とぶちまけてきたにもかかわらず、口封じはおろか処罰さえされなかったのは不可解に思えるかもしれない。プーチンは明らかにプリゴジンの振る舞いを容認し、有用だとすらみていた。でなければ、ワグネルの資産や情報チャンネルはとっくに取り上げられていただろう。