最初は、いろいろな人に話を聞きました。
「お金は私たちに対して何を行うのか、そしてまた私たちはお金で何を行っているのか」と聞いて回ったのです。ところが、金融やお金に関する専門家も答えをもっておらず、混乱が増すばかりで。尋ね歩くうちに質問が明確になっていき、最終的に手にしたのは「お金とは何だろう」というシンプルな問いでした。
この段階で、それまでとはやり方を変えてみました。何人かを集め、各々が考える「お金とはどういうものか?」を紙に書き出してもらい、それを大きな模造紙に並べてみたのです。書かれている内容はバラバラで、正反対のものも多々ありました。「お金は自由だ」と書いた人もいれば、「監獄だ」という人もいる。ある人は「お金は安全」だと力強く書き、別の人は「お金で私は不安になる」とつぶやくように書いています。「お金は様々な選択肢を可能にしてくれるもの」と書かれた隣に、「お金は選択肢を私から奪うもの」が並んでいる。
この相互に矛盾する答えの、どれが真実なのでしょう? しばらく考えてみましたが、どれもうそでも間違いでもありません。個人個人にとっては、それが真実の体験なのですから、同時にすべてが真実に違いありません。それでは、矛盾する体験のすべてが真実であるようなことが、なぜ起こるのでしょうか?
そう思った瞬間にひらめいたのです。私たちは「お金に自分の考えを投影しているのではないか」と。その人の目にお金がどう映るかは、その人がどんな考えをお金に投影しているかに依存している。「お金は自己を映す鏡」だと考えれば、正反対の答えがあることにも説明がつきます。このひらめきを話したところ、全員がすぐさま賛同してくれました。
鍵となる「マネーワーク」
このひらめきの源は、それまでのビジネスの経験から、頭のなかにあるビジョンやパーパスを何かに投影し、それにエネルギーを注ぎ入れることで、何らかの結果が生まれると知っていたことです。起業家精神というのはまさにそういうものですよね。そうして、スティーブ・ジョブズはiPhoneを発明しただろうし、イーロン・マスクは宇宙船を送ることを企画するわけです。
ビジョンやパーパスについて、それを何に投影するかについて、私たちは考え、語り合います。ところが、お金に関しては、自分がどんな考えをお金に結び付けているのかをあらためて問うことはありません。無意識のままにエネルギーを注ぎ、何らかの結果を自分自身と組織、人生に対してつくり出しているのです。自分がつくり出しているという自覚がないから、「お金が私にこんなことをしてくる」という認識になります。この「お金は自己を映す鏡」だという気づきは、私にとっては認識の目覚めのようなものでした。とても大切なことなのに、1991年の時点では、これを発見した人は世界中に誰もいないようでした。広く知らせ、共有しなければと思いました。