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2023.06.24

ポップスからジャズへ、大江千里が語る「海外で働くということ」

現在、米NYを拠点に活躍するジャズピアニストの大江千里。今年、デビュー40周年を迎えた。 Courtesy of Senri Oe

個人事業主や中小企業が海外進出するきっかけ、その過程で経験する悩みとはどういったものか。日本で成功していてなお、海外に出ることの意味とは何か? 人気ポップミュージシャンだった大江千里は、米ニューヨークに単身留学したのち、ジャズピアニストに転身。5月24日には、ポップス時代の名曲のセルフカバーと新曲からなる、デビュー40周年記念アルバム『Class of '88』を発売している(6月30日全世界発売)。現在は米国を拠点にする大江に、仕事や生活での苦労、人生観について振り返ってもらった。


大江千里(62)は、夢を追いかけ、それに追い立てられる気持ちをよく理解している。

「ジャズをやりたいという気持ちは充分に高まっていたし、ポップスでやり残したことは……でも、それを言っていたらキリがない。まだチャンスがあるからこそ、スパッとやめよう。求められているうちに、やめよう。そう思ったのです」
 
若い頃からジャズピアニストになることを夢見ていた彼は47歳のとき、米ニューヨークのジャズ名門校に入学を申請。試験に合格した。周りの人に背中を押され、勢いで受けたこともあり、通知が来るまでは実感がわかなかった。いざ挑戦が決まると、「大変なことになった」と、大江は当時の気持ちを振り返る。

「でも心の奥底ではチャレンジしたい、という気持ちがありました。それに50歳になったら、こんなチャンスはもうないかもしれない、と思ったのです」

1983年5月のデビュー以降、「十人十色」「あいたい」「格好悪いふられ方」などのヒット曲を連発する一方で、「夏が来た!」(渡辺美里)や「太陽がいっぱい」(光GENJI)といっいった楽曲を提供してきたシンガー・ソングライターの大江は2008年1月、単身で渡米。ザ・ニュースクール・フォー・ジャズ・アンド・コンテンポラリーミュージックを卒業後、自らのレーベル「PNDレコーズ」を立ち上げ、Senri Oe 名義で7枚のジャズアルバムを発表している。

こうして、大江はポップミュージシャンからジャズピアニストへの転身に成功した。
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文=井関庸介 写真=大江千里 提供

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