「道を究めるプロフェッショナル」たちは自らの仕事観を、いつ、なぜ、どのように変えようとするのか。『転職の思考法』などのベストセラーで「働く人への応援ソング」を執筆し続けている作家、北野唯我がナビゲートする(隔月掲載予定)。
北野唯我(以下、北野):梅原さんのプロゲーマーというキャリアは、どのように生まれたのでしょう。
梅原大吾(以下、梅原):格闘ゲームに11歳で出合い、14歳ぐらいから毎日ゲームセンターに通いました。それからずっと成果を残し続けたんです。「ゲームが仕事になればいいな」という淡い期待がありつつも、22歳ぐらいで1度ゲームから離れました。
北野:それはどうしてですか?
梅原:自分の人生、22歳の時点で決まっていいのかと思ったんです。プロのゲーマーになれないならゲームメーカーに就職すればいいのか、そこで自分の可能性を決めつけていいのか、という迷いがありました。だからすっぱりゲームを諦めて、勝負事という世界観で共通項のある麻雀を選び、本格的に打ち込んだんです。でも、熱意では最後までゲームを超えられなかったんですね。
麻雀をやめた後は飲食をやって、最終的には介護に落ち着き、それからずっとゲームとはまったく違う世界で生活していました。ある日、友だちに誘われて嫌々ながらもゲームセンターに行って、プレイして勝った瞬間に「あ! 俺はこれだったんだな」と。
北野:いったん離れたことで、大好きなものへの実感がもてたと。
梅原:そのタイミングで世界大会に招待されて出ることになりました。カムバックだから注目度が高かったです。ブランクがあったのにトントン拍子に世界大会に優勝しちゃって、スポンサーが付いてプロゲーマーとしてやっていけることになりました。
最初、日本で仕事として成立するかも疑問だったから、オファーを受けるか迷いました。でも「こんなに自分に合うものをやらずに生きていくのは、苦しい」と思ったんです。プロになってからはガムシャラですよ。そこから迷いはないです。