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2023.06.14 08:30

医療界のアメリカン・ドリーム。パルスオキシメータ大手の野心

AFP / Patrick T. Fallon / Aflo

よりすぐれた技術と本気がある企業が、競争で勝ち残っていくものだ。パルスオキシメータの大手マシモはいま、大きな勝負に打って出ている。


コロナ禍で一躍、知られるところとなった「パルスオキシメータ」。指先に装着し、動脈血酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を測定するこの装置は、量販店などで次々に売り切れて話題となった。そうした追い風を受けていま、米医療機器製造大手がデジタルヘルスケア領域に攻勢をかけている。

ジョー・キアニ(57)は夢をかなえた。自ら立ち上げ最高経営責任者(CEO)兼会長として経営するマシモが、指先をはさんで動脈血酸素飽和度を測るパルスオキシメータのニッチ市場で大手メーカーのひとつとして業績を上げているのだ。電気技師のキアニは、自ら設計した精密デバイスの米国の病院用パルスオキシメータ市場でのシェアが、医療機器大手メドトロニック傘下で、マシモの約15倍もの規模をもつ最大の競合ネルコーをわずかに上回っていることを誇らしく思っている。米国では現在、この2社だけで売り上げの約90%を占めているのだ。

マシモは大きな利益を上げてもいる。米カリフォルニア州アーバインに本拠を置く同社は2021年、12億ドルを売り上げ、2億2300万ドルの利益を出した。堅調な株式市場と、コロナ禍でパルスオキシメータの需要が拡大したおかげで、同社の株価は20年初頭から21年度末までに85%も急伸。マシモの時価総額は160億ドルを上回った。

1974年、9歳だったキアニは、工学を学ぶ父親の留学に伴われ、イランから一家で米国アラバマ州に移住した。77年には、父がMBA課程に入学したのを機に家族はカリフォルニア州サンディエゴに移り、2年後、両親は帰国。姉と米国に残ったキアニは、15歳にして飛び級で高校を卒業、サンディエゴ大学に入学。信号処理の権威フレッド・ハリス教授の授業で熱心に学び、87年には修士号を取得した。

80年代末、キアニは半導体メーカーのアンセム・エレクトロニクスでエンジニアとして働きつつ、副業として、あるスタートアップ企業のために100ドルという低価格のパルスオキシメータを設計していた。この仕事でキアニは、患者がふいに指を動かすと誤って警報が鳴ることが多いと知った。

信号処理と適応フィルター、つまりノイズ除去ソフトについての知識に精通していたキアニは、クライアントに自分なら誤認警報の頻度を減らせるともちかけたが、相手にされなかった。そこで89年、キアニは24歳にしてマシモを起業。住んでいたマンションを二番抵当に入れて4万ドルを調達し、アンセムの仕事を続けながら2年間、南カリフォルニアにあるガレージで週末もなく夜通し働き続けた。

キアニは、患者が指につけたまま動き回ったり、血流が少なかったりしても機能するパルスオキシメータのプロトタイプをつくり上げた。これは特に、新生児集中治療室で重宝された。キアニはすぐに特許を取得。だが、米国企業4社に売り込んでもうまく行かず、むしろ海外では日本のNECやヨーロッパで数社との契約に順調にこぎつけた。
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文=ケリー・A・ドーラン 写真=イーサン・パインズ 編集=森 裕子

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