長澤さんの海外美大受験の経験は、ヒトラーが落ちた有名美大に上流の子息でない僕が留学できた理由という記事に詳細に書かれているが、2023年5月に同アカデミーのキャンパスにお邪魔する機会があり、そもそもなぜ海外美大受験を目指すようになったか、また、渡墺後の実際の学生生活について聞いた。
合格発表の日、父の一言「俺の子育てはこれで終わった」
──海外に親戚の方がいたり、海外大学に進学した身近な方がいたりなど、何か日本国外にゆかりがあって海外美大を目指したのでしょうか。いえ、誰もいないです。親は専門学校卒と短大卒で、海外大学卒業でもない。親戚にそういう人がいたわけでもないです。ただ、日本から出ないと行けないという気持ちが強かった。僕は、中学3年の時に、東京都立総合芸術高校の美術科を受験して、夜10時半に美術予備校から帰ってきて、それから勉強する方の科目を勉強して寝るのが2−3時、みたいな生活を送っていました。そんな受験勉強の日々を送って、合格発表の日に自分の受験番号を見つけたとき、父親は「俺の子育てはこれで終わった」と言ったんです(笑)。
──そこから自立して自分の道を自分で切り拓いて行ったと。
進学した高校(都立総合芸術高校)が東京にある美術科だったので、ある意味、美大のような経験を高校ですでにしてしまった感じです。かつ、同じ美術科にいるメンバーが東京藝術大学をはじめとする東京にある美大や芸大に進学するので、東京に残って東京にある美大に進学したら、同じメンバーと一緒にやっていくのが見えていたんです。そこから出たい、という気持ちがありました。
現代アートを「輸入元で」やりたかった
──美術科の高校で美術や美術について議論する経験をしたこと以外に、長澤さんに影響を与えたことはありますか。
父親は映画関係のお店を自分でやっていました。僕は小学生の時あまり友達がいなくて、放課後、父親が営む店に来る大人と話していたんです。美術ではないけれども、やりたいことをやっている楽しそうな父親とその周りの人を見て育ったことが、自分がやりたいことをやろうとするスタンスに繋がったのではないかと思います。