テニスプレイヤー・松岡修造が「いいとこのお坊ちゃん」であることはよく知られている。そう、かれの曽祖父が、阪急電鉄の創業者にして、日本の私鉄のビジネスモデルをつくった小林一三なのだ。
小林一三は三井銀行(現・三井住友銀行)に就職したのだが、銀行員としての才能がまったくなかった。そこで、30代半ばにして鉄道会社に転職したのだが、その鉄道会社が「鉄道国有法」によって国有化されてしまい、支線として出願していた大阪梅田—箕面、有馬—宝塚等の路線を建設するため、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)を設立した。
同社の路線は山間部で乗客が見込めないことから、沿線予定地の不動産を買って宅地を造成。日本で初めて「沿線開発」を取り入れた。また、当時は百貨店に交通機関がつながっておらず、自動車で駅から送迎するのが一般的だったので、ターミナル・デパートの阪急マーケット(現・阪急百貨店)を開業して大成功を収めた。
宝塚歌劇団の出発点も私鉄経営だった。終点・宝塚が温泉地だったのでレジャー施設を設立。その催し物として「宝塚唱歌隊」(現・宝塚歌劇団)を設立したのだ。さらに、宝塚歌劇団の東京進出を計画して東京宝塚劇場(現・東宝)を設立。のちに映画の興行・製作を開始した。意外にも東宝という社名は「宝塚歌劇団の東京拠点」という意味だったのである。
世襲を取るか、企業発展を取るか
キッコーマンは日本を代表するしょうゆメーカー、というよりいまや世界的な食品メーカーといっていいだろう。1960年代、日本におけるしょうゆ消費量が頭打ちになり、米国への本格進出を検討。しょうゆのみならず、日本の食文化を輸出してグローバル企業に飛躍した。その創業者一族は茂木・高梨一族で、戦前は一族以外の役員がほとんどいなかった。ところが、現在では3人しかおらず、2004年には一族以外からサラリーマン社長が誕生している。
それと好対照なのが、しょうゆメーカー2位のヤマサ醤油である。キッコーマンが上場してグローバル化を進めていった一方、ヤマサ醤油は現在も非上場会社のまま家業を守り続け、社長は浜口家の世襲である。
茂木家にとって、しょうゆ醸造業を家業のままにして役員を独占していたほうがよかったのか。それとも役員のいすを手放してまで、「しょうゆ」を世界に広めたほうがよかったのか。興味深いところである。
同じ業界でも家業の経営戦略には違いが見られる。キッコーマンは複数の創業家から満遍なく社長を選び婿養子など血族ではない場合もあるが、ヤマサ醤油は浜口家内で順に世襲を行う。
この記事はForbes JAPAN 7月号の特集に掲載されています。
定期購読はこちら