その一角をなすのが、佐賀・鹿島市で続く富久千代酒造。代表銘柄である「鍋島」は2011年、世界最大規模のワイン品評会 インターナショナル・ワイン・チャレンジで日本酒部門の最優秀賞を受賞。鹿島を「世界一の日本酒のまち」としての輝かせると、翌2012年からは酒蔵ツーリズムを立ち上げ、地域を盛り上げてきた。
2021年には、市内の旧商家を改装したオーベルジュ「御宿 富久千代」をオープン。食と宿泊も含めた、他にはない日本酒体験は富裕層の心をくすぐり、ここを目当てに初めて佐賀を訪れる人も多いという。
「故郷に錦を飾る」と心に抱いてから約30年、地域に根差しながらビジネスを成長させ、海外への販路も拡大している三代目、飯盛直喜社長に聞いた。
娘の日奈子が東京の大学を卒業して、2年前に佐賀に戻って酒蔵に入り、いま酒造りも学びはじめているところです。製造はまだ私がメインでやっていて、外部パートナーとの折衝や海外でのプレゼンテーションなどは妻に取り組んでもらっています。
実は、私はこういうインタビューやメディア露出には積極的ではないんです。というのも、作り手の顔が見えるのは大事なことだと思いつつも、富久千代酒造としては自分以上に「鍋島」という存在が前にでていけばいいと考えていて、チーム鍋島で酒造りをしているということを、イメージだけではなく実際にも大事にしていています。
ファミリー企業ではあるのですが、だからといって当主が目立つ必要はありません。僕が作っているからこの味で、仮に僕が辞めたら美味しくなくなった、なんてことがないようにしないといけないと思っています。
実際、10年目くらいの中堅スタッフたちが育ち、「鍋島」のクオリティを底支えするチームが整ってきています。ヨーロッパのラグジュアリーブランドが、クリエイティブ・ディレクターを筆頭にパタンナーやPRなど一流のメンバーで体制を構成しているように、今後は娘がクリエイティブ・ディレクター的な立場で関わっていけるようにできたらと考えています。
酒蔵が弱い時代の苦難
僕が富久千代酒造を継いだのは30年ほど前で、そもそもはあまり継ぐつもりはありませんでした。父も、「東京に出なさい」というスタンスで、東京の大学に進学し、そのまま向こうで就職。ただ、父が事故を起こしてしまい、急遽佐賀に帰ってくることになりました。そこから青年会議所の活動にも参加するようになると、地域主義的な考えへの薫陶と啓蒙を受け、地元に貢献して「故郷に錦を飾る」ことへのモチベーションが高まっていきました。